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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

小説の話

読みかけたままの小説が増えている。以前は一度手にしたら、ちゃんと最後まで読み通したのに。

好きな作家の作品でも、途中でつまらなくなると止めてしまう。こんなはずじゃないと思ってもう一度トライしても続かない。いとうせいこうの「我々の恋愛」も、小川洋子の「ことり」もダメだった。

純文学が何となく面倒になってきていて、そのことと関係しているのだろうか。筋を追いながら読書をするようになっているからだろうか。

でも町田康の「珍妙の峠」は、特にストーリーのない奇譚だったけれど、終わりまで惹きつけられた。途中で何度も笑ったし、ひょっとしたら彼は日本のサミュエル・ベケットなのかもしれないと思うと、ページをめくるのが惜しかった。

 

小説の魅力といってもいろいろだけど、まず語り口がしっくりくること。ここは好みの問題ですね。そのうえで、私はいつも違和感を感じたいと思っている。齟齬とか意外性とか。何これ? みないな感覚。読みながら自明なものが揺らぐ感覚は、小説を読むことの醍醐味のひとつです。

でもこれはけっこうエネルギーがいる行為だ。よく若いうちに乱読しておけと言うけれど、確かに時間と体力があるうち出会っておかないと、おそらく一生手に取らない本はたくさんある。勤め人は忙しくて時間がないし、中年になると頭も固くなってくるので、没頭することが求められる読書が億劫になる。

だいたいベケットの作品がそう。いまさら埴谷雄高やトーマス・ピンチョンに挑戦しろと言われても困るし、「百年の孤独」も「ユリシーズ」も「失われた時を求めて」も、いつかいつかと思いながら結局そのままになっている。永遠の積読(つんどく)という言い方があるらしいけど、買わずに考えているだけだから完読はさらに遠そうだ。

学生のころは、読んでも理解できない本が多かった。誤読もあっただろう。そう言う意味では、ある程度の人生経験を積んだ今こそもう少し豊かな読書体験をできそうだけど、平日は仕事に追われて、休日は休日でダラダラして終わるのだから話にならない。

開高健は青年のころ、本屋の書架を埋め尽くす大量の書物の前で、「全部読破してやる!」と心を燃やしたらしい。私も学生のときは、「あれを読もう」「これもあったか」と本屋で気持が昂ったのを覚えている。それが今では、本屋に立ち寄っても何も買わずに出てくることが多い。情報量の多さに屈してしまう。

そういえば、帰国後わりに頻繁に行った渋谷の本屋は、キューレーションの小さな書店だった。店のオーナーとスタッフが選んだ(ということになっている)本のみが置いてあり、新刊や新書はほとんどない。そんなおせっかいしてくれるなと、以前の私なら反撥を感じただろうけど、正直ありがたく感じた。仕事場が変わったのでもうそこにも行かないけれど。

 

そもそも帰国する前から、本屋は微妙な場所になっていた。

アメリカの本屋は広いし、置いてあるソファーもゆったりしていてとても贅沢な空間だ。でも自分が知っている作家、読める本がめったにないから、楽しいというより途方に暮れることの方が多かった。

読みやすい平明な文章で書く、コーマック・マッカーシーやポール・オースターの新作が出てないかチェックしたら、それで終わり。あとは写真集の書架の前で時間を過ごした。

たまに奇跡的にわかりやすい話題の本があったけれど、それはかなり稀なことだった。評判の現代作家と聞いてチャレンジしても、私の語学力では歯が立たなかった。ジョイス・キャロル・オーツもドン・デリーロも挫折したし、カズオ・イシグロは何の話かさっぱりわからなかった。ジュンパ・ラヒリは短編が読めたので長いのを買ったら、数ペーシしか続かなかった。

ちなみに原文のとっつきやすさは、その作家が海外で売れるためのひとつの条件ではないか。例えば、オースターが地元アメリカより日本やフランスで人気があるのは、彼の文章の読みやすさが助けになっている気がするし、村上春樹があれほど海外で読まれているのも、日本語を学んでいる外国人が原書で挑戦できることがひとつ要因になっている気がする。「ライ麦畑でつかまえて」がロングセラーなのも、世界中で若者が英語のテキストとしてふれ続けるからじゃないか。

 

映画「麗しのサブリナ」に、主人公の執事だったか、物静かな中年男性が脇役で出てくる。彼は与えられた仕事を最低限こなす以外は、屋敷の一室に引きこもってひたすら本を読んでいる。男がその仕事を選び、世捨て人のような生活をしているのは、すべて読書に没頭するため...。確かそういう設定だった。

ストーリーに関係なくちらりと出てくるその場面が、なぜか印象に残っている。

仕事より趣味、趣味を持続してやるために働いている、という人は結構いそうだ。アメリカでも目にしたし、日本にも沢山いるだろう。そしてその趣味が小説を読むことという人は、どれくらいるのだろうか。

 

私の家から一番近い本屋は、ヤマダ電機の中にある。正確には本屋じゃなくて、家電量販店の中にある本の売り場なのだけど、ここがけっこうな数の文庫本を揃えている。

このあいだヘア・ワックスを買ったついでに、立ち寄った。

その日はコンタクトも眼鏡もしていなかったので、顔を書架に思い切り近づけて、あ行からタイトルを目で追っていった。なんとなく気になるものを手にとるのだけど、どれも気乗りがしない。だいたい本がキツキツで収められていて、棚から抜いて戻すのがひと苦労なのだ。

池澤夏樹、いとうせいこう、奥田英郎、江國香織… 特になし。

「ヤマーダデンキ!」とキンキン声で連呼する大音量の宣伝を聞きながら、やっと江戸川乱歩までたどり着いた。彼の作品はもう何十年も読んでいない。

「江戸川乱歩名作選」をひっぱりだすと、真っ黒を基調にした表紙には、血まみれの手袋と、階段の踊場と下でそれぞれ佇む男女が灰色で描かれている。題字はゴシックっぽい金色。

そういえば小学生のころ、「怪人二十面相」シリーズに夢中になったんだった。調子に乗って彼の大人向けの作品にも手を出して、怖くて夜眠れなくなったことを思い出した。

なんだかうれしくなり、か行以降はぜんぶ省略することにして、その一冊を買い求めた。

あれからひと月たつけれど、七つある話のうち、まだ最初の「石榴」しか読んでいない。

 

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いいね

承認欲求を捨てなさい。ブッダはそう説いた。

でもSNSを覗くと、誰も彼もが承認中毒気味に見える。

 

「私、病気かもしれない」

知り合いのカメラマンが、聞き捨てならないことを言う。

「褒めらわないとやっていけないの」

一緒に写真を展示したことのある彼女が、近々個展を開くと言うので、「おめでとう」と伝えるとそんな返事をした。

他人に褒められたいから見せ続ける、そのために撮り続けている…

自虐すぎる自己分析だけど、言いたいことはよく分かった。

 

アウト。イン。アウト。アウト。アウト。アウト。イン。

アメリカで報道写真をやったことがある者なら、誰もが知っているこのサウンド。フォトジャーナリズムのコンテストで、審査中のジャッジたちが放つセリフだ。スクリーンに次々と映し出される自分の作品に、目の前で当落がつくのだから、すごい量のアドレナリンが出る。

田舎の小さな新聞社からスタートする若いカメラマンたちが、少しでも大きなマーケットで働こうと思えば、コンテストで入賞を重ねて名前を売ってゆくしかない。キャリアがかかっているから皆必死だ。

私もかつてこのレースに参加した。

12月に入ると、その年のポートフォリオを作り、何が足りないかを念頭に置いて仕事をした。事件の現場に向かいながら、ここでいい写真をゲットできたら、地元のフォトグラファー・オブ・ザ・イヤーを穫れるかもしれないと考えたこともある。ひどい話だ。

やらせがまずない米国の報道写真の世界で、たまにルールを破りが発覚して大騒ぎになることがあるけれど、それも過当な競争のプレッシャーが原因だと思う。

 

もちろんキャリア・ステップだけが、競争過熱の理由じゃない。

小さな賞でもいったん手にすると、人間欲がでるのだ。

あの高揚感をまた味わいたくなる。「いいね」は癖になる。

 

撮る現場から上がった今は、そんな熱狂からも解放さて、クールに対処できると思っていた。いい加減エゴだって飼いならせる歳なんだし。

でも先日、ある人からプロフィールが欲しいと頼まれたとき、以前のものを手直して提出したのだけれど、「写真賞多数」という箇所を迷ったあげく残した。

やたら賞好きの国で長年働いたのだから、そして、上に書いたような業界の事情があるのだから、受賞はあって当然のこと。ほとんどローカルのものだし。

それなのに削らないのは、承認欲というよりは自己顕示欲か。

病気なのは私の方かもしれない。

 

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大岡信の「地名論」

授業中の教授がそわそわし始めた。顔を赤らめている。

もったいぶった前置きの後、おもむろに詩の暗誦を始めた。

ポーの「アナベル・リー」だった。

大の大人が若者に向かって詩の朗読することの気恥ずかしさは、自分がおじさんになった今なら理解できるけど、生意気な大学生だった私は「何を照れてるんだよ」と思いながら聞いていた。

聞き終えて、その詩の良さはわからなかったけれど、教授のポーの作品への思いの深さは垣間見えた。「へえー」と思ったのを覚えている。

 

詩人の大岡信さんが亡くなった。

評論も詩も難しくてほとんど読んでいない。私にとって彼はずっと朝日新聞「折々のうた」の選者だった。日替わりで古今東西の詞が解説つきで紹介されるので、まるでマジシャンみたいだと思っていた。

でもあるとき、彼の「地名論」という詩を見つけた。外国行きを夢見ていた当時の私の心にスコーンと響いた。まだ見ぬ土地の名前を口にするだけで湧き立ってくるその感じがよかった。

今の私に暗誦できる詩はひとつもないが、学生のころ好きだった一篇をあげろと言われれば、これにするかもしれない。

当時とても気に入ったので、紙に書き写して枕元の壁に張った。ランボーの「地獄の季節」を貼ったこともあったけれど、ジリジリとした焦燥感が湧いてくる天才の青春潭と違って、こちらはひたすら肩の力が抜けて具合がよかった。世界をひと回りした後、けだるい現実に引き戻される終わり方も好きだった。

 

「地名論」

 

水道管はうたえよ

御茶ノ水は流れて

鵠沼に溜り

荻窪に落ち

奥入り瀬で輝け

サッポロ

バルパライソ

トンブクトゥーは

耳の中で

雨垂れのように延びつづけよ

奇体にも懐かしい名前をもった

すべての土地の精霊よ

時間の列柱となって

おれを包んでくれ

おお 見知らぬ土地を限りなく

数えあげることは

どうして人をこのように

音楽の房でいっぱいにするのか

燃え上がるカーテンの上で

煙が風に

形をあたえるように

名前は土地に

波動をあたえる

土地の名前はたぶん

光でできている

外国なまりがベニスをいえば

しらみの混ったベットの下で

暗い水が囁くだけだが

おお ヴェネーツィア

故郷を離れた赤毛の娘が

叫べば みよ

広場の石に光が溢れ

風は鳩を受胎する

おお

それみよ

瀬田の唐橋

雪駄のからかさ

東京は

いつも

曇り

 

読み返してみて、かつてと同じようには心は動かなかったけれど、やっぱりいいなと思った。人前で暗誦してもいいくらい。

行ってみたい土地はまだまだある。

大岡さん、ご冥福をお祈りいたします。

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ディア・アメリカ

アニメでもSF映画でもいい。空を飛ぶ巨大な乗り物が不時着する場面がある。

例えば宇宙船。風が吹き荒れ、辺りは轟音に包まれる。

周りのものすべてをなぎ倒して、地面を削りながらスライドしてゆくカタストロフィックなシーン。

止める術はない。

アメリカの新大統領の就任演説を見ているときに、なんとなくそんな映像が頭に浮かんだ。

ひと月経った今も、それは残っている。というか今じゃ火柱が見えるし、地響きや怒号も聞こえていて、私の妄想はどんどんハリウッド仕立てになってきている。

 

彼の国は、あの衝撃の意味を考える猶予もないまま、新政権に変わってしまった。で、矢継ぎ早に出される放言やリークや辞任劇に振り回されて、検証も分析もうやむやのまま怒涛のニュースサイクルに入ってしまっている、そんな気がする。

私もあの選挙の意味が知りたくて、就任式までのあいだ3ヶ月、いろいろなサイトをのぞくように心がけた。足元を完全にすくわれたメインストリームのメディアが、どう立て直すのかにも興味があった。

でも、新聞やTVに内省の声が上がりかけていた矢先、就任後の大統領がさっそくケンカを売ってきて、それどころではなくなった。今またメディアは噴き上がっている。

私がひとつ気になっているのは、今のアメリカのメディアのあり方と、トランプ氏のような男が選ばれる世相の関係なのだけど、いろんなことが入り乱れて訳が分からない。少なくとも私のアタマでは整理がつかない。

 

印象に残っている文章がある。

どこに載っていたか忘れたが、メインストリーム・メディアの失態は、世論調査を読み違えたからでも、トランプ氏を過小評価したからでもなく、保守層を完全な他者として片付けてしまったことにある、そういう内容の記事だった。

つまり、トランプ支持者を「教育のない貧しい白人」と決めつけ、彼らが誰なのかを知ろうとしなかったという指摘。確かに4割以上の国民が支持していたのだから(それは今でも続いている)いろいろな人間がいたはずだ。

「私はジャーナリストの一人として、トランプがなぜ支持を受けるのかということや彼の支持層について、真摯に取材するべきだったと感じています」

アメリカで活躍する、フォト・ジャーナリストの深田志穂さんから選挙直後に届いたメールの中に、まさにそのことを悔いる言葉があった。

ただ、そう考えたメディアの人間は、果たしてどれくらいいただろうか。

 

更にその記事にはこんな書き込みがあった。

今回のリベラルの詰め甘さには、ひょっとしたら、トランプとトランプ支持者たちの暴走を許す気持がどこかにあったからじゃないか。

これはどういうことだろう。

差別はダメだと正論を言いながら、内実は許容していたと疑っているだろうか。

暴言を表向きでは批判しながら、心のどこかで喝采していなかったかということだろうか。

それを認めたくない気持があるから、心の恥部にフタをするように、「彼ら」にわかりやすいレッテルを貼り、上から目線で切り捨てることにした...そういうことだろうか。

 

ポリティコというサイトに載った「トランプになった男」というタイトルのインタビュー記事は笑えた。これはただの舞台裏の紹介なのだけど、いかにもアメリカっぽいエピソードだった。

ワシントン近郊でコンサルタントをしている、大柄で気性の激しいある男性を、クリントン陣営は大統領選の討論の練習相手に選んだ。フィリップ・レインズという人物だった。

3ヶ月間、彼は取り憑かれたように準備した。映像を繰り返し見て分析し、話し方からロジックまで徹底的に研究した。演壇を買ってきて家に置き、だっぽりとした感じのスーツを手に入れ、どんな状況で何を言うかを予想した。マーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロ顔負けの役づくりをしたそうだ。

ちょっとした立ち振る舞いも習得した。例えば、トランプ氏が会話相手とのアイコンタクトを避ける癖があることに気がついたレインズ氏は、壁にXと書いた紙を貼り、そこを見ながら話をする練習を繰り返したという。

彼のことは陣営内の数人にしか知らされず、すべてが秘密裏に行われた。

最初の模擬討論に現れた彼を見て、ヒラリー氏は驚愕した。

もともと顔見知りなので本名で呼びかけ、冗談を口にしてその場を切り抜けようとしたけれど、すでにモードに入っていた彼は取り合わない。昼休みになり、食事に誘う彼女を彼は無視した。

繰り返し行った彼との特訓のおかげかどうか、ともかくヒラリー氏は本番の討論で3度ともトランプ氏を圧倒した。

クリントン陣営にとって皮肉だったのは、ディベートでの勝利で「行ける」という雰囲気が生まれ、選挙レースの最後の詰めが甘くなったということなのだが...。

ちなみにレインズ氏の立てた予想がいろいろ的中したという。例えばトランプ氏は、一回目の討論の不調をマイクの不具合のせいにしたが、彼は模擬討論中にまったく同じパフォーマンスをしていたらしい。

 

そのレインズ氏が、選挙後に受けた最初のインタビューがこの記事だった。

新大統領について聞かれた彼は、こんなことを言っている。

「彼にとっては、政策を実際に行うことより、政策を発表することの方が大事なんだ。(中略)例えばメキシコとの国境で、カメラを前に壁造りの発表が出来ればそれで満足で、後はどうでもいいはずだ。」

ブラック・ジョークにしか聞こえないけれど、毎日のニュースを見ていると笑えない。一体これからアメリカがどうなるのか、この男の予想を聞いてみたい気がする。

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坂の途中

作家の丸谷才一は、坂のある町が好きだった。家も坂の近くを選んで住んだらしい。確かそんなことを書いたエッセイがあった。

私は住まいを決めるときに、坂のあるなしは考えなかったけれど、思い返してみると、確かに勾配の多い土地での暮らしは楽しかったような気がしてくる。景観が良いから散歩は間違いなく充実した。

ノースカロライナ州のローリーは、もともと起伏の多い街なので、その点で外れは少なかった。最初の家はダウンタウンに近い古い住宅街で、緩やかな斜面の途中にあった。外へ出て右が上りで、左は下り。車なら大通りに出るために必ず右に折れたが、徒歩では住宅街のさらに奥に向かって左に行った。年期の入った家々の佇まいや、前庭の木花を見るともなく見ながら、よく歩き回った。

次に引っ越した郊外のタウンハウスも、玄関を出てしばらく行くきつい上り坂があった。駆け上がると、視界が開けて州立公園の広大な緑が見渡せた。

 

散歩だけでなく、毎日のドライブにもめりはりがついた。

仕事場から自宅までの約20分の道のりは、アップダウンを繰り返しながら、プラタナスや松やハナミズキの巨木の下をくぐった。教会や食料品店やレストランをやり過ごし、ガソリンスタンドや美術館やアダルトグッズの店の前を通った。その間に音楽を聞いたり、ニュースに耳を傾けたり、ぼんやりしたり。

特に私が気に入っていた坂は、自宅から一キロほどのところにあった。

緩やかな弧を描きながら長い距離をかけて降下し、同じようにゆっくり上がってゆくスケールの大きなディップで、相当なスピードで走っても上りきるまで数分はかかった。ちょうどボウルの底にあたる真ん中は、谷間にかかる橋になっていて、その遥か下に小さな川が流れていた。沿道の雑記林の影に鹿の姿を見かけることもあった。

 

その坂のことを考えると、心に浮かぶ人がふたりいる。

まず、バラク・オバマ氏。

2008年の8月の末、民主党の大統領候補として党から指名を受けたとき、彼はコロラド州のデンバーで演説をした。8万人に及ぶ聴衆の前でおこなわれたこのスピーチは、国民に強烈な印象を残した。3ヶ月後の本選の勝利を予感させる、格別のパフォーマンスだった。

私はこの演説を仕事帰りの車の中で聞いていた。

夜もだいぶ更けていたと思う。その坂にさしかかったとき、バックミラーに後続車がいないことを確認してから、私は窓を全開にして、車を大きく減速させた。なぜかそうしたくなった。

有色人種が大統領になるなんて絶対にあり得ないと思っていたのに、スピーカーから朗々と流れる自信に満ちた彼の声を聞きながら、「本当に歴史が変わるんだ」と感じていた。民主、共和だけでなく、無党派層にも団結を呼びかける(つまり多様性を訴える)若いリーダーの出現に、そして、かつての奴隷の末裔をトップまで押し上げるこの国の寛容さに、ありていに言えば、私は深く感動していたのだ。

だから速度を落として、ゆっくりと感傷に浸りたかった。秋の予感を孕んだ爽やかな夜風に吹かれながら、このまましばらく走っていたいと思ったのを覚えている。

 

もうひとりは私の次女。

まだ妻のお腹にいた頃だから、もう10年も前の話しだ。彼女がある障害を持っていることを医者に言い渡され、当時私は大きなプレッシャーを感じていた。実際に産まれてくるまで判別しない合併症の可能性も指摘されていて、いろいろ心配だった。

その日、そろそろ夕食を食べようかというころ、妻に大きな陣痛がきたので、私たちは車で産婦人科へ急いだ。

例の坂の途中で、丘と丘のあいだから覗いた夏の夕陽が車内を照らした時、ふと、まだ決まっていなかった彼女の名前を「晶(あきら)」にしようと思い立った。どんな状態で産まれてきても迎える準備はできた。すでに授かっているいのち、もうそこで燦々と輝いているだろう光にリスペクトをという意味もこめて、とびきり明るいイメージ、いや、光そのものを名前にしようと思った。

気持をこめてアクセルを踏むと、すごいスピートが出た。

坂を登りってふたつめの信号の向こうが病院だった。

到着して15分もかからなかったスピード出産だったので、その後はバタバタになり確認しなかったけれど、彼女が産まれたとき空はまだ明るかったと思う。

 

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私の浪費癖

イヤホンに浪費してしまう。しょっちゅう断線するし、うっかり置き忘れたりして長く持てない。ないと通勤が退屈になるので、また新しいものを買い求める。

音圧とか再生周波数帯域とかリケーブルとか、くわしくは語れないけれど、ものによって聞こえる音の違いにはいつも驚される。国産もの、輸入もの、いろいろ使ったけれど、高音が伸びるけどキンキンせず、低音に迫力があってもこもらない、何より音楽を聞いていて疲れない一本に出会うのはけっこう難しい。

お気に入りは大事に使うのに、半年もしないうちにダメになる。もっとも電車の座席の袖にひっかけたまま引っ張ったり、床に落ちているのに気づかないで椅子のコマで踏んだり、自分の不注意が原因で壊してしまうのだけれど。

前回は節約しようと思い安いものを買ったら、音がスカスカでまったく使う気になれなかった。試聴しないで買った自分も悪い。

見た目や装着感のよさはもちろん、音が漏れないことも大事だ。乗り物の中では周りに迷惑をかけたくない。ただ、最近の製品はこの点については問題なくて、外の音が遮断されすぎてもしろ困るくらい。音楽に心を奪われたまま歩くとけっこう危ない。

 

その昔ウォークマンが出たてのころは、皆チープなヘッドホンを頭に載せていて、あれは音漏れがひどかった。

 私の高校の国語の先生は、電車の中で若者のヘッドホンから漏れてくるシャリシャリという音を聞いて、そういう音楽なのだと思っていた。それが流行の音楽なのだと。

「みなさん、あんな音楽聴いて楽しいんですか !?」

大きな声でクラスに問いかける先生に、誰も何も答えなかった。

「違うよ、先生、あれはヘッドフォンから漏れている音なんだよ」

今ならそう言えるけど、当時、ベテランの教師に生徒が面と向かって間違いを指摘できる雰囲気はなかった。忘れものをした生徒の頭に拳骨をふるう人だったし、堅物というイメージであまり人気のない教師だった。

でも授業は面白かったし、好きだった国語を3年間続けて習った先生だ。私は密かに慕っていた。だから皆といっしょにスルーしないで、休み時間に「ほら」とヘッドホンを彼の頭に乗せて教えてあげればよかった。満員電車でふとそんなことを思い出しては、小さく悔いている。

 

奥田瑛二の短編「家においでよ」は、妻との別居を機会にがらんどうなったマンションのリビングに、物を買い足してゆく40男の話しだ。 家具に頓着しなかった男が、炊飯器やカーテンを買い、ソファやテーブルを探しているうちに興に乗ってしまい、ついにはオーディオ・セットに手を出す。そのマンションに妻帯者の同僚たちが集まって、80年代のレコードを聴きながらこんな会話をする。

「おれ、思うんだけど、男が自分の部屋を持てる時期って、金のない独身生活時代までじゃないか。でもな、本当に欲しいのは三十を過ぎてからなんだよな。CDやDVDならいくらでも買える。オーディオセットも高いけどなんとかなる。けれどそのときは自分の部屋がない…」

「まったくだ。おれなんかCDを買っても聴けるのは車の中だけだぜ」

「まだまし。おれなんか通勤中のiPodだけ。車の中でロックをかけると子供たちがうるさがる」

このあたりの言い分はとてもよく分かる。私も自分の部屋は持ってないし、リビングでオルタナティブ・ロックをかけるとすぐに娘たちのブーイングが飛んでくる。誰にも気兼ねなく、大音量で好きな音楽を聴けるのは通勤中だけなのだ。だから最高の音質で聞きたい!

という言い訳を胸に、近いうちにまた電気屋さんに行こう。

ちなみに気に入ったイヤホンがない間、つなぎで使うのがアップルの例の白いやつだ。なぜかこれだけは断線しないし、iPhoneを買い替えるたびについてくるからいつも手元に数本ある。

でもこれを付属品だと思ってなめてはいけない。音は平板だけど慣れるし、ゆるゆるの装着感も使っているうちに気にならなくなる。とくに熱い思いは持てないのに、仕事はきちんとこなすので安心して使えるプロダクトというのは、どの世界にも必ずあるようだ。

 

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