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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

押せば開くドア

タフで優しかったアメリカ ― 。

これでは三流映画のキャッチコピーにもならないが、この国を去るにあたって頭に浮かぶ言葉ではある。ここでは、すべてを自己責任に帰する冷徹さが幅をきかせている一方で、求めれば、信じられないような寛容さにめぐり逢える。

田舎の州立大学にもぐりこんだものの、最初の一年を英語の習得に費やした私は、学位の修得が容易でないことを覚悟していた。卒業まで2年、3年とかかれば費用はバカにならない。そこで私は、籍を置いていた学部にひとつの提案を出した。

どの学部にもGAと呼ばれる大学院生のアシスタントがいたが、ジャーナリズム科にも2、3名おり、彼らがライティングの基礎をフレッシュマンに教えていた。私にこの役は務まらない。しかし、写真や雑誌関連のクラスを一人で受け持ち、いつも忙しそうにしている助教授がいることに気がついた私は、新しいGAのポストを作るべきだと主張し、暗室やスタジオや現像薬品の管理など、彼女の助手として自分にできそうな仕事をすべて書き出して学部長に提出した。

数週間後、この主張は認められ、私は晴れてGAになった。おかげで以後2年間の授業料が免除さればかりでなく、ごくわずかだったが、月一回の手当てまでもらった。いつもあまりぱっとしない成績で、日本では奨学金などというものにおよそ無縁だった私にとって、これは驚愕の出来事だった。

マーシャル大学はウェスト・バージニア州のハンティントンという街にある。近くの小さな空港に初めて降り立った時、学校から迎えがあった。今思えば、留学生の世話をしていた彼女も大学院生だったから、あの仕事もGAのひとつだったのかもしれない。

キャンパスに向かう車がダウンタウンを抜けるとき、ハンドルを握る彼女は気を利かしてどこに何があるかを教えてくれた。「これが新聞社」と言ったとき、私は咄嗟に「いつかここで働けるかな?」と聞いた。彼女はちょっと笑ってから、「It’s Possible」と答えた。

一年ほどして大学新聞に写真を撮り始めた私は、ダウンタウンのバス停をテーマに一本の記事を作った。市バスの利用者やバス停にたむろする人々を撮ったフォト・エッセイで、横に文章も添えた。これを見た街の新聞社のフォト・エディターが電話をくれ、それきっかけに私はヘラルド・ディスパッチに出入りするようになった。

在学中は授業の一環として新聞社のインターンとなり様々な経験を積んだ。二年経って卒業を控え、どこからも仕事のオファーが届かずに困っているとき、「おかげさまで写真記者として力もついてきたし、そろそろ私を給与付きの正式なインターンとして雇うべきではないか」と先のフォト・エディターに相談すると、彼女は会社にかけあってポジションを作ってくれ、結局これが私のキャリアの始まりになった。

このエントリーは、ここで終わりにすれば格好もつくし、しごく収まりもいいけれど、残念ながらそうする訳にはいかない。私が体現したいわゆるアメリカン・ドリームはもうかなり以前の話だからだ。現に私は今、すべてを畳んで出国する。

今、果たして同じようなことが可能だろうか。世界中から集まってくる留学生の前に、あるいはリスクを犯して入国してくる移民たちの前に、かつて私が押したようなチャンスの扉は存在するだろうか。

もっと大きなドアを開けることができなかった、 自分自身の力不足を棚に上げて言えば、アメリカは今とても疲弊しているように見える。よそ者に優しくできる余裕はあまりなく、「A Land of Opportunity」と書かれたドアもずいぶんと錆びついて、そう簡単に開かなくなっているように感じる。

 

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