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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

もらえたよ、免許証

二俣川と聞いて、自動車教習所を思い浮かべるなら、きっとあなたは神奈川県民だ。っていうか、それ意外何も思いつかないよな、などと考えながら二俣川駅の改札口に向かっていると、「教習所はこちら」という巨大な看板が正面に掲げてあった。何もそんな大きな字でなくてもいいんじゃないかと思ったが、駅員さんたちも「教習所はどっちですか」と聞かれるのに疲れていたのかもしれない。

矢印に従って駅を出て、バス通りの歩道を傘をさして歩いていると、いつの間にか登校中の女子高生に囲まれている。不安になって、ビルの前で雨に濡れて立っているセキュリティのおっさんに「教習所はどっちですか」と聞くと、彼は「またか」という顔はせず、丁寧に教えてくれたので、こっちも「どうもありがとう」と好青年のように(もう中年だけど)礼を言って歩き続けた。

「教習所、近道」というサインに従って小さな道へ折れると、女子校生たちは消え、目の前は赤い髪の兄ちゃんだけになった。野球が上手そうな体格をしていたが、タバコをふかしながら歩き、突然「かー」と唸ったかと思うと道端に痰を吐いたので驚いた。

たかが自動車免許のためにこんな遠くまで歩かせるなんて、絶対に神奈川県警の嫌がらせで、「オレたちの言う事をちゃんと聞く、従順な者にだけに免許をあげるよ」と言われているような気がして腹が立ってきたが、やっと門の前に出たので気をとりなおした。警備中の警官二人がこちらを睨みつけている。

薄暗い2号館一階のホールで、「外国免許切り替え」と張り出してある窓口に行き、名前を残す。午前中の受付時間は朝8時半から9時までのたった30分間で、「本日は13人しか受け付けません」という紙も貼ってある。8時に着いた私は一番乗りだった。

アメリカ人、中国人、イギリス人と続いた。なぜ出身地がわかるかというと、時間ぴったりに開いた窓口から、「中国からお越しのチェンさーん」などと係員が快闊に呼ぶからである。アメリカのデービッドさんは、どうやら2回目だったにもかかわらず、必要書類の入った封筒を家にうっかり忘れてきたらしく、「えー、もうっ!」と女っぽい日本語で嘆いてから、やっぱり最後は母国語で God damn it と吐き捨てて立ち去った。スーツ姿のイギリス人男性は、これもスーツでばっちり決めている女性を通訳として連れていた。

待っている間、顔写真のことが気になってくる。履歴書用の写真が手元にあったので、前日にハサミで指定のサイズに切って持参していたが、はたしてこれでいいのか。すぐ横に証明写真を撮るセクションが設けられていて、人だかりができているのでさらに不安になる。心配性の私は、自前の写真にケチがついて「出直してこい」と言われるのを恐れて、結局そこに並んで撮ってもらった。600円だった。

やがて窓口に呼ばれて、いろいろ質問を受けた。どれもうまく答えられたので、まずはいい滑り出し。おじさんの指示に従って書類の空欄を埋めていると、横から「この前電話いただいた方ですか」と声が聞こえた。確かに私は2週間前に電話で問い合わせていたので、「はい」と答えながら顔を上げると、小柄な若い女性が立っていて、北の方のアクセントが入った彼女の話し方は私も覚えていた。

その人曰く、今から100問の筆記を受けて合格すれば、車両総重量8トン以上の大型自動車も乗れる免許がもらえるらしい。だが、その試験は絶対に受からない自信があったし、大型車はおろか軽自動車も当面は運転する予定のない私は、そのオプションを丁重に辞退した。

その後再び窓口に呼ばれると、お前は20年も前に無効になっていた日本の免許証を持ってきたので、筆記テストも実技テストも免除してあげようと言うではないか! 私は途端にうれしくなって、つい調子のいい冗談を言いそうになったが、なんとか思い留まった。役所で軽々しくジョークを言わない方がいいということは経験上よく知っていた。

4,250円出して証紙を買いに行ったり、視力検査をしたり、また写真を撮ったりして(これが免許用だというから、さっき提出した分は一体何の為だったんだろう)から、再び元のホールに戻ってきて、あとは免許の交付を待つばかりになった。改めて椅子に座っている人たちを見ると、みんな陰鬱な顔をしている。それでも、もうすぐ終わるという期待からか、他の待ち合い場所より雰囲気は心なしか明るい。

本を読んで待っていると、なにやらアナウンスが入り、たくさんの人が一斉に立ち上がって窓口の前に整列したので私もそれに習うと、周りは老人ばかりだった。高齢者講習を受けた人たちが呼ばれていたのだ。

次にアナウンスが入ったときは、すぐに動かず席から様子を見ていると、突然「外国免許から切り替えたイワベさん」と名前を呼ばれた。慌てて立ち上がる。

「マニュアルでいいですか?」

 窓口の女性の早口が分からず、

「は?」と聞くと、

「マニュアルですか。オートマですか」と無表情に繰り返す。

「両方いけるのにしてください」と気持ちのいい青年のように(中年だけど)返事をすると、

「じゃ、マニュアルです」と言われて免許が差し出された。

掌の上のピカピカの免許をよく見ると、期限が平成27年の8月になっている。更新は3年毎だったはずだと思いその旨を伝えると、

「最初の誕生日を一年目とするので、これでいいんです」と言う。

何か騙されたような気がして、反論したかったが、他の受け取りの人たちが次々に後ろから現れて私の肩を押すように通りすぎる。さっきの女性を探して相談しようかと一瞬考えたが、きっと無駄だだろうと思い引き下がった。

少しほっとして、トイレに行き、小便をしながら「また2年後にここに戻ってくるのか」と考えると気が重くなった。手洗い場にくると、思いがけなく、大ぶりの美しいアジサイが二輪花瓶に挿してあった。

「駅はどこですか」なんて聞いたりせずちゃんと駅の方向に戻ると、すでにお昼時になっていた。最初に目についたそば屋に入り、鳥そばを注文する。雨はまだ降っている。出てきたそばは、汁が辛いばかりで不味かったが、それ故に懐かしい味だ。麺をすすりながら、二俣川に住んでる人たちは自動車教習所のことをどう思っているのだろうかと考えた。

食べ終えて箸を置き、窓の外を眺めると、並んだ自動販売機のひとつにエメラルド・グリーンのカーテンがかかっているのに気がついた。目を凝らすと、「はやくて きれい証明写真」という文字が踊っているのが見えた。

 

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