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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

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あの朝、私はしけたホテルの駐車場に立っていた。前日のソフトボールの試合で擦りむいた膝の傷がヒリヒリと痛んだ。近くにいたカメラマンが、「飛行機がビルに突っ込んだ?」と携帯電話に囁いているのを、何を寝ぼけたこと言っているんだ思いながら聞いていた。

サウス・カロライナ州の知事が教育改革案のキャンペーンに田舎を練り歩くというので、私も前日の夜からアパラチアの山奥に来ていた。つまり、あの朝、訪問先の小学校で異変を耳打ちされたジョージ・ブッシュが、うわのそらで子供が読む童話を聞いていた同じ時刻に、ホッジズという名の州知事は教育のあり方についてうわのそらでスピーチをしていたことになる。

キャンペーンを「教育のための行脚」と名を打った手前、とりあえず歩かないと格好がつかないと考えたのだろう、スピーチを終えた知事は予定通り徒歩で小学校に向かった。他のカメラマンは出発地点に集まっていたが、私は半マイルほど坂道を登り、彼が上がってくるのを待った。

ファインダーの中に現れた知事は、しかし、突然横づけされた黒塗りのSUVに慌ただしく乗り込むと、そのまま姿を消した。私も自分の住んでいる街に向かって車を走らせた。

ラジオから尋常でないニュースが流れてくる。

途中でテレビが見たくなり、ハイウェイを降りて最初に目についたレストランに入った。アイスティーを注文して座ると、肝心のテレビの受信が不具合になり始めた。バーの奥に大きな画面が五つ六つ並んでいたが、どれも激しく乱れ、やがて一斉に砂嵐になった。他に客のいないレストランで、目の前に置かれた赤いプラスチックのコップをじっと見つめていると、膝の痛みが全身に脈打ち始めるのが分かった。

再びハイウェイに戻り、運転しながらボスに電話を入れると、彼は沈痛な声で必要なことだけを喋った。知事の写真はどうでもよくなったらしい。ラジオのボリュームを上げ、車をわざとゆっくり走らせた。私はひどく狼狽していた。

3時間してコロンビア市に戻り、そのまま大学のキャンパスに向かった。テレビに釘付けになっている学生たちの写真を撮るためだったが、あまり身が入らす、結局自分も一緒になって画面を見入った。

午後になってようやくオフィスに出ると、同僚たちはすっかり疲弊した様子で、それでも粛々と仕事をしていた。

以上が、私の覚えている2001年9月11日だ。

その後、アメリカ国内での息苦しさは長い間続いた。人々は怒りの矛先を先ずアフガニスタンに向け、次にイラクに向けた。

忘れられないのは、炭疽菌の小瓶を見せながら、イラク攻撃の必要を説いたパウウェル国務長官の国連演説と、メディアが開戦を一斉に支持したこと。そして、当時、そのことに異議を唱えるアメリカ人が皆無だったこと。

 

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