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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

なかなかいい瞬間(写真について 3)

カルティエ・ブレッソンの写真集のタイトル、 「決定的瞬間」(Decisive Moment) は、1952年の出版以来世界的に知られるようになったが、本人がつけたわけではないらしい。もともとのフランス語タイトル「逃げ去る映像」(Images à la sauvette) の代わりに出版社が用意した英語版用だった。

自分の作品を「芸術ではない」と言い、写真というメディア自体には興味ないとまで言った写真界の異端。ストリート・フォトグラフィーの先駆者であり天才的な感覚を持った写真家だったのに、キャリアの後半は絵を描くことに忙しく、カメラを手に取ることはほとんどなかった。

ブレッソンはインタビュー嫌いでも知られていた。自分の仕事について語ることに魅力を感じていなかったのだろうか。あるいは語る言葉を持ち合わせていなかったのか。そんな邪推をしたくなるほど、彼が写真についてしゃべったり書き残した量は少ない。ひょっとしたら、「決定的瞬間」について繰り返し聞かれることに嫌気がさしていたのかもしれない。世間から熱狂で迎えられた「ライ麦畑でつかまえて」を出版したのちずっと沈黙を守り続けたサリンジャーみたいだ。

繰り返し引用されてきたのは、「私にとって写真とは、ほんの一瞬の間に、物事にふさわしい表現を与えるべく、その物事の意味と正確なかたちを同時に認識するものです(To me, photography is the simultaneous recognition, in a fraction of a second, of the significance of an event as well as of a precise organization of forms which give that event its proper expression) 」という下りだが、考えてみればこれも、写真そのものの特性を当たり前に解説しただけのように聞こえる。

つまり「決定的瞬間」は符丁としてはキャッチーなのだが、写真理論でもなければ作品の定義でもないのだ。ただ、写真を語るうえでとても便利な表現なので、いろいろなところで繰り返し使われてきた。

 

 一枚の写真でストーリーのすべてを言い表わしているのなら、撮影者は「決定的瞬間」をとらえたという言い方ができるのだろう。それはそれでいい。ただし、ふつう撮影はそんなに上手くいかない。

無論そんな一枚を求めて皆撮影に出かけてゆくのだが、現実には、例えば、とらえた表情は素晴らしいのに背景が邪魔をしていたり、構図も光も完璧なのにメインの被写体が横を向いていたり、被害者側の悲しみは出ていても加害者側のジレンマはまったく写っていなかったりする。

ブレッソンは「大事な瞬間を逃したら最後、それはもう二度と現れない」と言ったけれど、現場にいるカメラマンにいちいちそれを嘆いている暇はない。「ここだ」と思っていた場面を逃しても、直後にもっといい状況が現れるかもしれない。立ち上がった少女の一瞬の笑顔にピント合わせが間に合わなくても、彼女から目を離すべきでないのは、去り際の背中にこそ見るべきものがあるかもしれないからだ。

日本の雑誌のインタビューに答えている最中に、セバスチャン・サルガドがおもむろに紙とペンを出して直線と放物線を描いたエピソードを思い出す。彼は、ふたつの線が交わる一点を示して「ここが『決定的瞬間』かもしれないが、私はここでも、ここでも撮るんだ」と点の前後を指しながら力説した。恐らく彼は、彼のような超一流の写真家の仕事のプロセスを神秘化したがる聞き手の思い込みを退けたかったのだろう。「決定的瞬間」という常套句 (クリシェ)で写真を括ってしまうことへの反発が感じられる。

という訳で、必然的にカメラマンは沢山のコマを抱えて撮影から戻ってくる。「決定的瞬間」(Decisive Moment) を写した一枚はなくても、「なかなかいい瞬間」(Decent Moment) を捉えたフレームはきっとたくさんあるのだ。そして、そのなかからどれを選ぶかが大切な編集作業の一部になる。

それにしても、仏語のオリジナル・タイトル「逃げ去る映像」(Images à la sauvette) は言い得て妙だ。「盗まれたイメージ」とも訳せるらしい。1940年代から60年代という激動の時代をライカで追った彼の写真は、テーマこそ壮大だが、一枚一枚は確かに何気ない日常の瞬間を刻んでいる。路上の人々の動きを智覚して、過ぎ去る時間の断片をすくい上げてみせた彼の圧倒的に美しくて詩的な作品群は、本人が何と言おうと極上のアートでしかない。

 

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