博士の異常な薄情
「外国人のアナタに、いったい記者が務まるのかね?」
革張りの大きな椅子に深く身を沈めたまま、クレッカリー博士はこちらをギロリと睨みつけた。彼女の黒い肌は机の上のランプの光でオレンジ色に染まっている。
私は驚いて、抗議の言葉を探した。
「そんな失礼なこと言うのは、あなたが初めてだ」
すると博士は間髪を入れずに悪意をあらわにした。
「初めてでけっこう。むしろ光栄だわ」
米国のウェスト・バージニア州。マーシャル大学で重要なポストを務めるクレッカリー博士のオフィスは、キャンパスのメイン・ビルの中にあった。大学の多様性・多文化性を促進するプログラムのリーダーとして、彼女は半年前に他大学から引き抜かれてきた。
ところが夏休みに悪い噂が広まった。
学生新聞によると、大学から博士に支払われた引っ越しの費用が異常に高額で、しかも二重に支払われてるという。
キャンパス内で読まれるその新聞はジャーナリズム専攻の生徒たちの手で作られた。記事を書くのはニュース・ライティングのクラスを履修する上級生たちだ。誰が何を取材するかは立候補とくじ引きで振り分けられるが、秋学期の「マルチカルチャラル・アフェアーズ」、つまり異文化の話題を受け持つビート (担当) は私に決まった。
留学生の私にはやりやすい分野だと喜んだのもつかの間、いきなりクレッカリー博士の件を引き継げと言う。夏休み中はダンマリを通した博士だったが、新学期が始まればもう逃げられないはずだ。私はおそるおそる彼女に面会を申し入れた。
「あのお金は、一体何なんですか?」
通されたオフィスで舞い上がった私は、いきなり本題に入ってしまった。
あれは書類の不備だ。引っ越し先の住まいは修繕が必要なので、その費用としてもらった。使途についてはもっと詳細に発表すべきだったが、それは大学の方に聞いてくれ…
こんな答えに対して私は食い下がった。しかし彼女は同じことを違う言い方で繰り返すばかりだった。その後どんな質問をしたのか覚えていないが、気まずい雰囲気の中で帰りかけた私に、博士は冒頭の言葉を投げかけたのだ。
数日後、博士の言い分は記事となり学生新聞に無事に掲載された。
彼女が口にした嫌みについては触れなかったが、今思えば、それもニュースにすべき事柄だった。キャンパスの多様性をプロモートすべき人間が、どんなコンテクストであれ「外国人のアナタに…」はまずい。引っ越し代と偽って小銭を懐に入れるより、こちらの方がよほど問題になったかもしれない。
しかし当時の私にはそれを題材にコラムを執筆するような力もなかったし、そもそもそう言われても仕方のない英語力しかなかったのだろう。
この件を思い出したのは、先月東京で参加したジャーナリズムのシンポジウムで調査報道について考える機会があったからだ。結局、引責問題には至らなかったが、クレッカリー博士を追いつめたのは一人の学生記者の地道な調査だった。あれは前の学期のエディターを務めた学生が、大学の支出に関する書類を調べているうちに見つけたスクープだったのだ。
マーシャルは州立大学なので、教授の給与を含めお金に関するすべてが公にされている。ただ、膨大な量に及ぶこれらの書類を細かく見る者はいない。それを丹念に調べて、不正があれば明るみにする… というのがまさに調査報道の典型で、こういう監視役こそ新聞の果たすべき責務のひとつなのだが、やはり驚くべきは、米国ではそれが学生新聞のレベルから行われていることだ。
これがどれほど賞賛すべきことなのかは、新聞業界から離れ米国からも去った今、改めて実感できる。