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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

火星人となりそこないのヒーロー

職場の食堂でカレーを食べていたら、テレビのアナウンサーの絶叫が聞こえてきた。日本人の誰かがメダルを取ったらしい。よかったよかった。

でもそれがフィンランド人でも中国人でもアルジェリア人でも、私は同じように「よかった」と思う。最近特にそう感じる。

興味はちゃんとある。肉体と精神の限界に挑むアスリートの姿は美しいと思うし、白黒がはっきりと出るスポーツのドラマには私も惹かれる。ただ、日本のチームや選手を無条件に応援するかといえば、そうでもない。

例えば町内会対抗リレーにあまり燃えないように、あるいは運動会で赤組に入ったからといって突然「赤組ナンバー・ワン!」などと叫ばないように、私は私に振り分けられた「チーム」に肩入れしない。もともとスポーツとナショナリズムの安直な結びつきが嫌いだからこんな気持ちになるのだろうか。

オリンピックを世界の祭典と謳うなら、いっそのこと視点をもっと後ろに引いて火星人の眼で眺めよう。地球という星に生息する人間どものなかで、特に優れた運動能力と精神力を兼ね備えた者たちが一同に会しているのだ。どの地域出身であれ皆たぶん同じくらい素晴らしく、同じくらい愚かしい。

これがサッカーのワールドカップになると、私の観戦事情も違ってくるのだが、サッカーには大の大人を阿呆にしてしまう魔の力があるから仕方がない。でもひょっとしたら、今夏のブラジル大会でも私は「火星人の視座」を獲得するかもしれない。

 

ところで、出身国を問わず私が気になっているのは、4位入賞の選手たちだ。

期待されていたメダルを僅差で逃した日本のスキーヤーがいたが、翌日の新聞は彼女を完全な敗者として描いていた。本人も泣いていた。

先日の雑誌「ニューヨーカー」の漫画は秀逸だった。ライン一本で描かれた風刺画は、まず三つ並んだ表彰台を象り、そこからずっと離れたところにバーのカウンターを描く。4位の人間が座るのはこちらと言わんばかりだ。カウンターの上に置かれたグラスはもちろんひとつ。

そう、ほんの僅かでもメダルに届かなければ、扱いは他の出場者と同等なのだ。国からの特別手当てはもちろん、取材攻勢も出版依頼も公演の催促もない。「Almost ほど悲しい言葉はない」というジェブ・ロイ・ニコルズの歌詞の意味を噛み締めながら、酒場でひとり痛飲することになる。

ちなみに私の好きなオリンピック・イベントはもう終わっている。それは開会式の選手入場だ。国ごとに趣向を凝らしたユニフォームを見るのは楽しいし、選手のたたずまいを観察するのもいい。

今回も録画で見たが、ドイツ人全員がスマホ・フリーで行進したり、日本人が自国だけでなくロシアの小旗を振りながら出てきたりして面白かった。アメリカ人の歩調は相変わらずバラバラだったし、中国人は貴賓席の習近平に手を振るのに必死だった。

もちろん選手たちの晴れやかな笑顔もよかった。

テロなどの事故なく、無事に大会が終わりますように。

 

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