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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

ファンの愚痴

今となってみれば、「自分たちのサッカーをする」という選手たちの言葉はとても稚拙に聞こえる。まるで人生経験の浅い若者が、「自分らしく生きる」と宣言したみたいだ。誰が言い出したのか、このフレーズは繰り返し使われ、私たちファンは甘い夢をみた。

 

どんなチームにも得意とするプレースタイルはある。でも相手の力や出方、試合の流れ、自分たちのコンディションよって修正を強いられる。その対策を含めて戦術と呼ぶはずだ。上手く行かなかったときどうするのか。苦しい状況をどうやって打開するのか。そんな基本的な準備を代表がしていなかったように見えて、私たちは愕然とした。

Zicoというブランドに丸投げして失望したのが8年前だったが、監督経験のない彼とは違い、こちらの「Z」にはセリアAでの実績があった。より確かなブランドを手にした私たちは、大喜びで彼にチームを託した。それだけに、本番中の本番で見せた彼の迷走ぶりには私たちも慌てた。同点にされた直後、用意していた選手交代を取りやめ、逆転されてから慌てて同じ選手を入れたコートジボワール戦のベンチワークは印象的だった。名将が普通のヒトに見えた瞬間である。

「どうして上手くいかなかったのかわからない」と彼は後日ブログに書いている。最後の最後まで紳士で、言い訳を一切しなかった彼は素敵だったが、招聘は失敗だったと評されるべきだ。彼がどれくらい日本を好きになったかはこのさい関係ない。私たちが求めていたのは文化交流ではなく、前大会を上回る結果だったのだから。

 

その前大会のチームを率いた日本人監督は、コートジボワール戦でテレビ解説を務めていたが、敗戦直後にコメントを求められて「開き直るしかないでしょ」と言った。

なんだか皮肉だ。サッカー協会は、岡田さんの功績を評価しつつも、彼が得意とする弱者の戦いはもうやめて、「自分たちで主導権を握るサッカー」というステップアップのためにザッケローニ氏を呼んだ。で、そのチームの惨敗を受けて、前監督は精神論的なコメントで励ましたのだから。

ちなみに開き直ると、どうなるのか。追いつめられた者が失敗を怖れなくなると、実力以上のものを発揮することがある。居直り。捨て身。火事場の馬鹿力。

いかにも日本人好みの「戦術」だが、いい加減これも卒業したい。いかんせん格好が悪いし、これに頼っているかぎりダメだと思う。例えば、決勝戦は痺れるようなギリギリのプレーが続いたが、ドイツやアルゼンチンの選手たちが実力以上の力で戦っていたかといえば、そうではないだろう。

 

ところで今回のチームが開き直ったのは、2試合目ではなく最終戦だった。いわゆるイケイケの状態だった。これも悔やまれる。

コロンビア戦の前半を終わった時点で同点だったのだから、そしてギリシアがコートジボワールをリードして前半を終えていたのだから、この時点でグループを抜ける可能性は十分にあった。悪い悪いと言われながら、予選トータルの270分のうち225分終えた時点で上に行ける高い確率が残っていたのだ。

ギリシアが勝つ可能性が十分あると判断できたならば (実際そうなった)、日本に求められたのは1点差の勝利だ。加えて、後半コロンビアがプライドにかけて前に出てくることを予測すれば (ロドリゲス選手の投入はそのサイン)、まずはきちんと守り、相手の攻めをしっかり受けてから一点を狙うべきだった。何もあそこまで焦って攻めて自滅する必要はなかったのに...。

 

先日「なぜ日本は勝てなかったと思いますか?」と尋ねている街頭インタビューの横を通り過ぎた。もし私が聞かれたら、「結果論になりますが」とか「素人の意見だけど」とか前置きした上で、これぐらいは一気にしゃべったかもしれない。嫌がられただろうなぁ。

 

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