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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

ファーガソンについて

ひと月ほど前、黒人少年を射殺した白人警察官がアメリカのミズーリ州で不起訴になり、各地で暴動やデモが起こった。

私の同僚によると、「全米が震撼」というフレーズは日本のメディアで最も多用される見出しのひとつらしいが、この話題にもあちこちで使われていた。

ただ今回は見出しだけでなく、報道の内容も似通っていた。マーチン・ルーサー・キング牧師の演説「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」を引き合いに出し、公民権運動から50年たっているにもかかわらず黒人への差別は相変わらずで、やはりこの国の人種問題はひどい… というパターンだった。

他国の事情を伝えるのは難しい。でもよく知っているはずのアメリカのことなのに、新聞もテレビも判で押したような報道になるのはなぜだろう。

 

事件直後のワシントン・ポストに「ファーガソンとは警察への黒人の憤りではなく、進歩に対する白人の憤り」と題する文章が掲載された。

街頭での派手な言動は世間の目を引くが、屋内でひっそりと行われる法やルールの制定は注目を浴びない。デモや略奪という黒人の怒りは見ての通りだが、人種差別を助長する取り決め作りに奔走する白人の「怒り」の行為はニュースにならない。アメリカの人種問題を全体像を捉えたいなら、そのことをお忘れなくという痛烈な内容のオピニオン・コラムだった。

例として著者は、現在行われている黒人の投票を封じ込める選挙区割りや、多くの黒人が働いている公務員の人件費削減などを挙げているが、歴史的にみても「白人の怒り」は枚挙にいとまないという。特に奴隷制解放やブラウン判決、そして公民権運動など、人種統合に向けて画期的な出来事が起こった直後に行われた「より戻し」の法改正は火を見るより明らかだと指摘する。

 

このコラムはふたつのことを示唆してくれる。ひとつは人種問題の根の深さ。そしてもうひとつは賢明でない歴史の見方。ある出来事を切り取り象徴として捉えるとわかりやすいが、こぼれ落ちるものも大きい。

キング牧師のスピーチはそれ自体が傑出していた。でも、この演説とそれに続いた公民権運動の勝利がアメリカの黒人に完全な自由をもたらしたわけでは当然ない。理解しているつもりでも、同じコンテクストでくり返し見聞きするうちについそんな印象を抱いてしまう。

アメリカの人種問題を語るたびにキング牧師を出すのであれば、それはまさに紋切り型の伝え方であり、「全米」とくれば「震撼」とつけたがるメディアの人間の怠慢の表れでもある。

 

その記事が出た数日後、巷である写真が話題になった。オレゴン州のデモに参加していた黒人少年と警備にあたっていた白人警官が抱き合っている一枚だ。少年は「フリー・ハグ(抱擁します)」というサインを持っていたらしく、それに気がついた警官が彼にいろいろと話しかけ、ふたりは最後に抱き合ったという。

写真がことさら目を引くのは少年の頬が涙で濡れていたからだ。フェイス・ブックに載るとわずか数時間で15万回シェアされ、「希望の写真」というふれこみでたちまち人々の間に広まった。

ここでアメリカ人の単純さを嗤うのは簡単だ。だが、この感傷こそが理念を掲げて社会を回している彼らのDNAだと思う。

人は人を差別する。根絶はあり得ない人種間差別を考えるとき、アメリカでは問題が突出している分だけむしろ可能性を感じる。彼らはこの問題と常に格闘していて、求めれば、他人種と向き合う(そして抱き合う)機会もすぐそこにある。

 

ちょうど同じ時期に、日本のSNSで拡散された記事があった。

日本に住む中国人が中国語で書いたという文章は、いかに日本が素晴らしい国で、いかに日本人が素晴らしいかを中国人に向かって滔々と述べたものだった。大勢の人が「それ見たことか」という調子で書き込みをしていた。

これを読んで私は昏い気持ちになった。元の文章自体が胡散臭いが、例え実在するものだとしても、この種の憂さ晴らしから透けて見えるのは歪んだ自尊心と優越感だけだ。

特に最近は中国人と韓国人との仲の悪さが伝えられる日本人だが、こういう文を取り上げて溜飲を下げるという行為には、問題を解決しようという姿勢はもちろん、相手と向き合い対話をしようという心意気も感じられない。

 

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