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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

サン・キル・ムーンに逢えた夜

「俺の新しいアルバムのどこがいいんだ?教えてくれ」

サン・キル・ムーンことマーク・コズレックがステージの上から尋ねた。

一瞬の沈黙の後、"Honest! (正直なところ)" と誰かが叫ぶ。

そこに "Brutally. (痛々しいほどに)" と付け加えたかったが、私に大きな声を出す度胸はない。

別の誰かが "I can relate to it. (自分のことみたいに感じる)"と言った。

声の主に向かってコズレックは年齢を尋ねる。返ってきた19歳という答えはこの気難しいアメリカ人を失望させた。フンと鼻で笑ってから、「あのアルバムにはな、46になったオレが抱えてる諸々が詰まってるんだよ」と吐き捨てるように言った。若いお前に一体何が分かるだという調子で。

でも彼は間違っている。中年の陰鬱をティーンエイジャーが直感的に理解してしまうことは可能だ。メランコリーが年齢に関係なく人に宿るということは、彼自身そのアルバムで歌っていることじゃないか。

 

「インディーロック界の重鎮、ついに初来日」という触れ込みで先月行われた、渋谷のクアトロでの一回きりのコンサート。

私はコズレックのステージをアメリカで見たことがあるが、一番印象に残ったのは演奏の合間のお喋りだった。客に絡んでくるのだ。

今回、大人しい日本人を相手に何を言い出すのか不安だったが、やり玉に上がったのは客中のオーストラリア人たちだった。「見ろよ、ジャパニーズ・ガールとデートしているデクノボウたちを」から始まって、「お前らの国はアメリカより20年遅れてる」などと案の定言いたい放題だった。

その途中で自分の新しい作品の話しになり、上記のようなやりとりがあったのだが、その時だけ急に聞く耳を持ち、客の言葉を辛抱強く待った。彼はファンが自分の新譜をどう受け止めているのか本当に知りたがっていた。

 

アルバム『ベンジー』は異質だ。自身のバンドであるレッド・ハウス・ペインターの解散以来、十数年間ずっと貫いてきたスタイルが大きく変わった。静謐でなめらかなアコースティック・ギターに荒々しさが加わり、抑えの効いた透明感のあるボーカルは擦れ、ところどころでブレている。

内省的なフォーク・ロックであることに変わりはないのだが、アプローチの違いは明らかで、これまで積み上げてきたものを壊すような方向性には驚かされる。

『ベンジー』はピッチフォークという影響力のある音楽メディアから絶賛されているが、それについて本人は「おまえらあのレビューに洗脳されたんじゃないか?」なんて皮肉を言い、素直に受け止めているようにはとても見えない。

ドラム・スティックを片手に叫ぶようにして歌ったその夜のステージを見ていると (ギターよりもドラムを叩いている時間の方が長かった)、かなり苛ついているようにも感じた。ひょっとしたら彼は、このアルバムが受けている思いがけない高評価に混乱しているのかもしれない。

 

俺のおばあちゃん、俺のおばあちゃん、俺のおばあちゃん。

初めて遊びに行ったのは、彼女がロスに住んでいたころ。確かハンティントン・パークだった。

マルセロとかサイラス・ハントっていう奴らと友達になったんだ。

ダウンタウンでアイスクリームを食べて、ポテトフライを鳩にあげたり、ベトナム帰りの傷痍軍人と喋ったり。

ハチドリやヤシの木やトカゲを初めて見た。海もそう。

デビッド・ボウイの『ヤング アメリカンズ』を聴いたのも、『ベンジー』を映画館で観たのもこのときだった。

俺のおばあちゃん、俺のおばあちゃん、俺のおばあちゃん。

すごく苦労したらしい。

でも最初の旦那が死んだ後、カルフォルニアの男と出会って彼がとてもよくしてくれた。

俺のおばあちゃん、俺のおばあちゃん、俺のおばあちゃん。

62歳でガンを宣告された。

彼女の子供たちが面倒をみて、きちんと最後まで看取ったんだ。

 

アルバム中で私が一番好きな曲、『Micheline』の3番の歌詞の後半だ。1番で近所の知的障害の少女・マケリーンについて語り、2番で昔のバンド仲間・ブレットについて語る。二人とも「おばあちゃん」同様この世にはいない。マケリーンは成人した後に悪人の親子に騙され、最後は彼らに殺されたことが示唆されるし、動脈瘤を煩っていたブレットも妻子を残して亡くなってしまった。

人が年齢を重ねることとは、周りの者が逝ってしまうことだと言わんばかりに執拗に死者たちのことを取り上げる。火事で不慮の死をとげた再従姉妹の歌で始まり、アルバムが終わるまでの11曲の間に両手で数えきれない程の人間がこの世からいなくなる。

それが必ずしも暗く響かないのは、そのことを受け止めてなお生きていこうとするコズレックの意志が伝わってくるからだ。照れることなく披露している両親と姉への愛情もいい。

以前にも増して独白調になった歌詞は、まるで酒場でする身の上話みたいにも聞こえるが、それこそドキッとするくらいに "Honest" なのでつい聞き耳を立ててしまう。演奏も声も完成度は落ちているのに歌詞に鬼気迫る凄みがあって、それがアルバムの核になっている。

 

これを評価するかは好みの問題だろう。飲み屋に例えれば、結局彼が入り浸っているのは大衆酒場でもお洒落なカフェでもなく、裏通りにある目立たないバーなのだ。そして、例えそのバーに足を踏み入れたとしても、カウンターに居座ってくだを巻いている中年男にはちょっと近寄り難い。

ちなみにその夜彼が観客に向かってついた悪態のひとつが、「今夜のことをせいぜいブログにでも書くんだな」だった。両手を胸の前にかざしてタイプする真似をして、表現のはけ口がそれ位しかない私のような者を揶揄して笑ったのだ。

書いたよ、コズレック。この糞野郎。

 

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