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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

別れの流儀

早朝の渋谷には、平日でも朝帰りの若者がたくさんいる。週末になるとその数はさらに増える。

飲み明かした10代、20代が集団で駅へ向かう光景はなかなかだ。「楽しかったんだろうな」と思わせる者がいる一方で、完全に酔いつぶれていて「大丈夫か?」と余計な心配をさせる者もいる。

彼らは駅の改札付近で解散となるのだが、ハイタッチからお辞儀まで、別れの挨拶も色々ある。

共通しているのはその後だ。

ひとしきり言葉を交わしてからそれぞれの方向に歩き出すのだが、見ていると、かなり高い確率で双方が振り返る。そして最後にもう一度合図を交わす。

その姿は我々大人の姿と重なる。近頃の人付き合いはさっぱりしてきているとはいえ、視界から相手が消えるまで見送り、見送られる様子は今でも駅や街角でよく見かける。

別れの儀式は次世代にも受け継がれているようだ。

 

他の国の人たちはどうだろうか。

私が日本に戻る前、両親の元へアメリカ人の友人が一泊二日で訪ねていった。ふたりは片言の英語で彼を鎌倉へ案内し、自宅で夕食をふるまった。親日家の友人も手土産を持参し、覚えたての日本語を交えてコミュニケーションをとり、楽しい時間をすごした。

翌朝、母が最寄りの駅まで見送ったのだが、別れを告げ改札を通り階段を登るまでの間、彼は一度も振り返らなかったという。そのことに母はとても驚いた。

母国や親族と永遠の決別を経験している移民の末裔たちにとって、別れとはもともと堪え難きものであり、だから敢えてドライに振る舞ってその場を乗り切る… と指摘したのは写真家の藤原新也だ。映画『シェーン』のラストシーンを例に挙げて、少年に名前を連呼されても決して振り返らない主人公にアメリカ人の別れの流儀を見て、彼らのタフで孤独な素性を指摘した。

その『シェーン』とは対照的に、我々『寅さん』はしみじみと別れの言葉を交わし、後ろ髪を引かれるようにして去ってゆく。

 

でもたまに、こんな光景にも出会う。

先日スクランブル交差点を渡っていると、若い男女が向こう側に見えた。

次の瞬間、男は両手をいっぱいに広げて女を力強く抱きしめた。ふたりは恋人同士には見えないが、ただの友人同士にも見えない。

彼は身体を離すと、地下道への階段を降り始めた彼女を見送らずに、反転して遠くを仰いだ。点滅している青信号を確認すると、躊躇することなく交差点を渡り始めた。

淋しそうで、それでいて覚悟を決めたような爽やかな横顔とすれ違った。

彼の他人への優しさと、孤独を引き受ける潔さを垣間見たような気がして、私は「かっこいいな」と心動かされていた。

 

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