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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

ハロー、アゲイン

「何となくスゴそうな国から、何となくバカそうな国になってしまった」

アメリカという国を評してこう表現したのは、確か評論家の内田樹だった。その文章が書かれたのは10数年も前の話だ。

私がその本を手にとったのは3年ほど前のことで、場所はアメリカのノース・カロライナ州にある女子高校だった。そこの教室を借りて毎週土曜日に日本語補習校が開かれており、私はキャンパスの片隅に設けられた書架の前に立っていた。子供を送り届けた後にぶらりと立ち寄れる小さな図書室には手垢のついた文庫本が並んでいたが、そのうちの一冊が内田氏の本だったのだ。

「へえ」というのが私の感想だった。ずいぶんと意地悪な見立てをするな思った。

顔を上げれば窓の外に手入れの行き届いた芝生が見える。レンガ造りの美しい校舎が並び、それを囲む木々から鳥たちのさえずりが聞こえる。キャンパスを一歩出れば、ダウンタウンの方角に州庁関連のビルや美術館が整然と建ち並び、反対側には州立大学の広大な施設が延々と続いていた。

「でもさ、この環境を見てよ」と思わず言いたくなった。

 

アメリカの国力の衰退はわかっていたつもりでも、暮らしているとなかなか実感が湧かなかった。

外に出ないと内情がよくわからないというのは、どこにいても同じかもしれないが、特にあの国にいるとそうなってしまうのかもしれない。

国土が大きいということに加えて、よく言われるように、他国のことを眼中に入れない国民性が理由だろうか。住んでる場所が世界の中心だという錯覚は、どの国に暮らしていると一番顕著に感じるものだろう?

 

ここ数年でもアメリカの権威はどんどん失墜していったように感じる。ニュースを見聞きしていても、ロシアや中国に完全になめられているようにしか見えない。こんな扱いは一昔前には考えられなかった。

そんな風潮の中で、最近ネットで話題になったビデオがあった。

韓国の大学のキャンパスで撮られたというインタビューもので、アメリカ人の印象を海外留学生たちに聞くという趣旨なのだが、その内容が手厳しかった。

「うるさい」「図々しい」「自己主張が過ぎる」「デブ」

恣意的に編集されたとしか思えない、ステレオタイプのオンパレードだった。まるで力を失くしたガキ大将を皆でよってたかって虐めている感じすらある。

可哀想なボス…

でも、これをシェアしていたのは私の友人のアメリカ人だった。彼の反応は「ほぼ当ってるな」で、そこにコメントをつけている彼の友人たちも同じように受け流していた。これぐらいのことで目くじらは立てないのだ。その余裕がいい。

 

帰国から2年半が経ち、自分の中で「アメリカ」は少しづつ遠ざかりつつあったのだが、最近ニューヨークに本社を置く外資系の企業に転職して、職場は東京ながら、期せずしてまたあの国のカルチャーと再会することになった。

別にドラマチックなエピソードがあったわけではない。オリエンテーションらしいものもほぼないまま出社初日から放っておかれたのだ。

仕方がないので周りで仕事している人たちに聞くのだが、皆忙しそうにしているのでわからない事をすべて聞く訳にはいかない。遠慮しつつやっていたら、事の次第を察した近くの(たぶん)日系アメリカ人が「あ、そうそう」という感じで振り向き、「この職場はギャーギャー騒がないとダメなの」と言ったのだ。

そのセリフ、どこかで聞いたことがあると思った。

25年前、留学生としてアメリカの大学に着いた初日だった。枕もシーツもなく、かと言って歩いて行ける距離に店もなかったので学生課に相談すると、車を持っている日本人留学生の電話番号をくれた。図々しいと思ったが思い切って連絡をとり、ルームメイトのインドネシア人と一緒に近くのショッピングモールまで連れて行ってもらった。

修士論文を書くのに4年も費やしたというその女性は、留学を終えて帰国する間際で、いかにも何かをやり遂げたという雰囲気を漂わせていた。入れ替わるようにして日本からやってきた私に何かアドバイスを残そうと思ったのかもしれない。ハンドルを握ったまま彼女は「この国ではね、ギャーギャー言わないと損するのよ」と教えてくれた。

 

ほぼ同じセリフだ。ただし、私の新しい同僚には、気の利いた一言半句がもうひとつ残っていた。

「ここじゃとりあえず泳げると想定して、皆を海に放り込むの」

ヒリヒリとしたあの感覚が蘇る。

やるせないほどの孤独と、限りない可能性。

泳げるかどうか、もう一度やってみよう。

 

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