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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

ショーンKに告ぐ

甘いルックス、渋い声、一分の隙もない服装。「報道ステーション」に彼が出てくるたびに、なんとなく身構えたものだ。出来すぎ感が強すぎて、肝心なコメントが印象に残らない。

そのショーン・マクアードル・川上氏、学歴詐称が明るみに出た数日後に涙の声明を出した。とりあえずメディアから身を引いた。

虚偽の経歴を売りにしていた人物にニュースの解説を求めていたのだから、TV局にとっても笑えない話なのだが、翌日から巷の番組がフォーカスしたのは次の二点だった。

彼を許せるか? 彼は復帰すべきか?

つまり、あっという間に彼を裁く側に回ってモノを言っていたことになる。

 

ちなみに学歴や経歴を盛るという行為だが、ばれるリスクを覚悟でやる者がいるということ自体、効果の大きさをあらわしている。

固有名詞ひとつふたつで箔がつく世相は相変わらずだ。

箔のつく学歴とは無縁の私だが、アメリカではそのことをいっさい忘れさせてくれた。仕事をしていて「もっと学歴があれば」と思ったことも一度もなかった。そもそも職場では学歴の話が出ない。肩を並べて何年も一緒に仕事をしていた同僚が実はハーバード出だったということが実際にあったけれど、それくらい話題に上らない。

「いや、アメリカこそ露骨な学歴社会だ。MBAの給料を見ろ」と言う人もいるけど、あれはお金をかけてネットワークを広げた人材を採りたい企業が用意する、直近の転職時(つまり一度きり)のインセンティブで、キャリアについて回るような評価ではない。

もちろん競争は熾烈だ。ただ、日本の受験や就職活動のような全員参加型の一発勝負がないぶん、社会に出るまでの道のりはたくさんある。そして、出てからの評価は普段のパフォーマンスで決まり、常に更新され続ける。

 

日本に帰国後しばらくして、仕事場で面識のほぼのない上司に卒業した大学名を聞かれたことがあった。彼女の唐突な聞き方にこちらの身を固くさせる何かがあって、「あ、これだ」と思った。私の返答への彼女の反応は薄く、会話は弾まないまま終わった。

そう感じたのは単なる私のコンプレックスなのかもしれないが、20年以上押されることのなかったスイッチを押すトーンが彼女の尋ね方にあったことは間違いない。

ショーンKは何をきっかけに虚偽を始めたのだろう。

あの出で立ちとしゃべりの裏にはとてつもない執心と努力があったはずだ。学歴なんか盛る必要のないほどの執心と努力が。

墓穴を堀ったのは本人だし、許す許さないも、復帰するしないも私にとってはまったく関心外なのだが、少なくとも彼は人生前半のレースの結果を理由に諦めなかった。投げなかった。そして、一時的とはいえ、たぶん自分が望んでいたものを手に入れた。そのことは覚えておこう。

 

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