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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

6秒の沈黙

トイレに行っていなかったのは失敗だった。小学生の卒業式を甘くみていたわけじゃないけれど、こんなに厳かな雰囲気で、こんなに長い時間やると思っていなかった。

そうは言っても、子供だってちゃんと座っているのに、大人の私がガサガサと席と立っておしっこに行くわけにはいかない。

でも我慢できなくなってきた。じっさいに膀胱がパンパンに膨らんでいたし、私には些細なことを「やってはいけない」と思えば思うほどやりたくなる性癖がある。結局、タイミングをみてパイプ椅子からそそくさと立ち上がった。

体育館の入り口の扉が重いので音を立てないように気をつけた。用を足してから、スピーチとスピーチの合間に席に戻った。ほっと一息。

ところがそれも束の間だった。ちょっとした異変が起こったのだ。

その日は風の強い日だったので、どこからかすき間風が入っていたのだろう、入り口の扉に貼ってあった模造紙が外れてバタバタと大きな音を立て始めた。これでは校長先生の祝辞が聞こえない。

腰を浮かせた私は... 躊躇した。1, 2, 3...

あちこちで父兄が顔を上げているが、誰も動かない。6ぐらいで私は立ち上がり、皆の「またこいつか」という視線を振り切って入り口に向かった。風に激しくなびいている紙を手で押さて貼り直した。一人でできる作業だったが、後から続々と駆けつけた先生やPTA役員たちに手伝ってもらい、補修はあっという間に終わった。

 

きちんとした式典の雰囲気は日本らしい。でも、席を立つのが憚られる空気もそう。あの何となく動けない、物が言いにくいという呪縛が昔から苦手だった。よく考えずに咄嗟に口を開いたり動いたりする子供だったから、学校でも家でも近所でも失敗や失言が多かった。そのうち一拍置くようになり、黙ることも、あえて行動を起こさないことも覚えた。

でも日本の外に出ると、言うべきことやすべきことを、タイミングを逃さずに言ったりしないとまずいらしい。そのことは渡米直後の留学生の集まりでさっそく教わった。

第一回目というその会合は、地域の大学の留学生のつながりを深めようという意図で開かれていた。後半は10人ほどのグループに分かれて、今後の活動アイディアを出し合う段取りになっていた。

活発な意見が飛び交う中、最後まで発言しなかった学生が二人いて、それが私ともう一人の日本人だった。「相変わらずお静かな人たちでして…」という進行役二人の言葉でグループ・セッションが終わり、ちょっとした日本人バッシングに驚いたが、その饒舌なインド人とニュージーランド人を相手に渡り合うガッツも語学力も当時の私にはなかった。

帰り際、同席の日本人になぜ黙っていたのか尋ねると、「自分の言いたいことは他の人に言われたから」という返事だった。私の方は「車を持ってない留学生ばかりがそもそも集まれるのか」と疑問を感じていたので、水を差すようなことは言わなくてもいいと考えて発言しなかったのだ。

以後、その会は二度と開かれなかったので、私の疑問は的外れではなかったはずだ。今となっては「皆口ばかりじゃないか」というツッコミも成立する。言えばいいというものではない。

ただ、それでも意思表示しなくてはならない、特に多文化の人間が集まる場では、重複しようが水を差そうがとりあえず口にしなければダメで、黙っているだけで周りの心証が悪くなることがあるということを、その集まりで、そしてその後もいろいろな場所で思い知らされた。

「まず口しろ、すぐ動け」という行動原則はシンプルで楽だ。外国語なので言いたいことがうまく言えず、それはそれで相当なストレスだったけれど、そこを差し引いても大きな開放感があった。相変わらず失言はしたし、行動を起こして後悔することもあったが、世によく言う「やらなかったことを後悔する」ことはなくなった。

 

卒業式では、数秒とはいえ席を立つのを躊躇したのだから、私はすっかりまた日本の流儀に染まったようだ。

模造紙がきちんとついていることを確認してから、すぐに忍び足で席に戻った。

校長先生の祝辞が続いている。

後ろの方までちゃんと聞こえているので、ちょっと得意げな気持ちになり、隣に座っている家人を見た。すると彼女は前を向いたままぴしゃりと言った。

「うるさい」

 

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