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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

A Night in Hiroshima

アメリカには現在、2000発を越える核弾頭が配備されている。未配備や解体待ちを含めると、7000発以上の核弾頭があり、それが相変わらず他国への脅威になっている。そのことを私たちは知っている。

アメリカ政府は今、爆発力を制御し、狙いをより正確に定められる核兵器開発に1兆ドル(120兆円)のお金ををつぎ込んでいる。巡航ミサイル型という、核兵器の近代化を先頭切って図っているのは紛れもなくこの国で、そのことを私たちは知識としてちゃんと持ち合わせている。

それなのに、私たちの日本人の多くは、オバマ大統領の核兵器廃絶の呼びかけを額面通り受け止めているのか、彼の広島訪問を大いに歓迎したと言う。

その広島の献花では、大統領は頭を垂れることをしなかった。

スピーチでは謝罪はもちろん、投下の是非を問う言葉も周到に避けた。

そして演説の〆では、人類のモラリティについて言及した。つまり、かつて原爆を使った国のリーダーが、使った相手の国で人間としてあるべき道徳について説いたのだ。

それなのに、私たちの日本人の多くは、彼のスピーチに感激したと言う。

 

実は私もぐっときてしまったくちなのだが、それはやはり、オバマ氏本人の思いが見える訪問だったからだと思う。

自国での批判のリスク (控えている大統領選に絶対迷惑をかけられない)、言えば言うほどつっこまれる偽善 (核の超大国に廃絶を呼びける資格はあるのか)、そして、語れば語るほど明るみになる現実 (ぶち上げた削減交渉はまったく進んでいない) を考えれば、行かないほうが賢明だった。周りも反対しただろう。

でも彼は来た。強行スケジュールでやって来て、被爆者の手を握り、抱擁して帰った。岩国の米兵訪問とセットにしたり、記念館を10分だけにしたり、米国内の世論を気を使っている様子がありありだったが、それでも彼は本当に来て、言葉を残していった。

 

もちろんその言葉も、大半がスピーチライターによって準備されたものかもしれない。核兵器使用についての具体的な話を一切しないで、戦争そのものの悪について饒舌に語った演説はある意味ずるい。

でも「我々はなぜ広島に来るのか」という自らの問いに答えた、あの17分間の静かな語りの中に、熱いものを感じたのは気のせいだろうか。いかにもスピーチ然とした表現の羅列の向こうに、氏の底意を見た気がしたのは私だけだろうか。

ある新聞の記事によると、オバマ氏は安倍氏に「これは始まりだ」と言ったそうだが、本当に彼はこれから広島や長崎に何度も訪れて、核兵器の廃絶という難しい問題に力を尽すような気がしている。

 

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