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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

私の浪費癖

イヤホンに浪費してしまう。しょっちゅう断線するし、うっかり置き忘れたりして長く持てない。ないと通勤が退屈になるので、また新しいものを買い求める。

音圧とか再生周波数帯域とかリケーブルとか、くわしくは語れないけれど、ものによって聞こえる音の違いにはいつも驚される。国産もの、輸入もの、いろいろ使ったけれど、高音が伸びるけどキンキンせず、低音に迫力があってもこもらない、何より音楽を聞いていて疲れない一本に出会うのはけっこう難しい。

お気に入りは大事に使うのに、半年もしないうちにダメになる。もっとも電車の座席の袖にひっかけたまま引っ張ったり、床に落ちているのに気づかないで椅子のコマで踏んだり、自分の不注意が原因で壊してしまうのだけれど。

前回は節約しようと思い安いものを買ったら、音がスカスカでまったく使う気になれなかった。試聴しないで買った自分も悪い。

見た目や装着感のよさはもちろん、音が漏れないことも大事だ。乗り物の中では周りに迷惑をかけたくない。ただ、最近の製品はこの点については問題なくて、外の音が遮断されすぎてもしろ困るくらい。音楽に心を奪われたまま歩くとけっこう危ない。

 

その昔ウォークマンが出たてのころは、皆チープなヘッドホンを頭に載せていて、あれは音漏れがひどかった。

 私の高校の国語の先生は、電車の中で若者のヘッドホンから漏れてくるシャリシャリという音を聞いて、そういう音楽なのだと思っていた。それが流行の音楽なのだと。

「みなさん、あんな音楽聴いて楽しいんですか !?」

大きな声でクラスに問いかける先生に、誰も何も答えなかった。

「違うよ、先生、あれはヘッドフォンから漏れている音なんだよ」

今ならそう言えるけど、当時、ベテランの教師に生徒が面と向かって間違いを指摘できる雰囲気はなかった。忘れものをした生徒の頭に拳骨をふるう人だったし、堅物というイメージであまり人気のない教師だった。

でも授業は面白かったし、好きだった国語を3年間続けて習った先生だ。私は密かに慕っていた。だから皆といっしょにスルーしないで、休み時間に「ほら」とヘッドホンを彼の頭に乗せて教えてあげればよかった。満員電車でふとそんなことを思い出しては、小さく悔いている。

 

奥田瑛二の短編「家においでよ」は、妻との別居を機会にがらんどうなったマンションのリビングに、物を買い足してゆく40男の話しだ。 家具に頓着しなかった男が、炊飯器やカーテンを買い、ソファやテーブルを探しているうちに興に乗ってしまい、ついにはオーディオ・セットに手を出す。そのマンションに妻帯者の同僚たちが集まって、80年代のレコードを聴きながらこんな会話をする。

「おれ、思うんだけど、男が自分の部屋を持てる時期って、金のない独身生活時代までじゃないか。でもな、本当に欲しいのは三十を過ぎてからなんだよな。CDやDVDならいくらでも買える。オーディオセットも高いけどなんとかなる。けれどそのときは自分の部屋がない…」

「まったくだ。おれなんかCDを買っても聴けるのは車の中だけだぜ」

「まだまし。おれなんか通勤中のiPodだけ。車の中でロックをかけると子供たちがうるさがる」

このあたりの言い分はとてもよく分かる。私も自分の部屋は持ってないし、リビングでオルタナティブ・ロックをかけるとすぐに娘たちのブーイングが飛んでくる。誰にも気兼ねなく、大音量で好きな音楽を聴けるのは通勤中だけなのだ。だから最高の音質で聞きたい!

という言い訳を胸に、近いうちにまた電気屋さんに行こう。

ちなみに気に入ったイヤホンがない間、つなぎで使うのがアップルの例の白いやつだ。なぜかこれだけは断線しないし、iPhoneを買い替えるたびについてくるからいつも手元に数本ある。

でもこれを付属品だと思ってなめてはいけない。音は平板だけど慣れるし、ゆるゆるの装着感も使っているうちに気にならなくなる。とくに熱い思いは持てないのに、仕事はきちんとこなすので安心して使えるプロダクトというのは、どの世界にも必ずあるようだ。

 

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