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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

坂の途中

作家の丸谷才一は、坂のある町が好きだった。家も坂の近くを選んで住んだらしい。確かそんなことを書いたエッセイがあった。

私は住まいを決めるときに、坂のあるなしは考えなかったけれど、思い返してみると、確かに勾配の多い土地での暮らしは楽しかったような気がしてくる。景観が良いから散歩は間違いなく充実した。

ノースカロライナ州のローリーは、もともと起伏の多い街なので、その点で外れは少なかった。最初の家はダウンタウンに近い古い住宅街で、緩やかな斜面の途中にあった。外へ出て右が上りで、左は下り。車なら大通りに出るために必ず右に折れたが、徒歩では住宅街のさらに奥に向かって左に行った。年期の入った家々の佇まいや、前庭の木花を見るともなく見ながら、よく歩き回った。

次に引っ越した郊外のタウンハウスも、玄関を出てしばらく行くきつい上り坂があった。駆け上がると、視界が開けて州立公園の広大な緑が見渡せた。

 

散歩だけでなく、毎日のドライブにもめりはりがついた。

仕事場から自宅までの約20分の道のりは、アップダウンを繰り返しながら、プラタナスや松やハナミズキの巨木の下をくぐった。教会や食料品店やレストランをやり過ごし、ガソリンスタンドや美術館やアダルトグッズの店の前を通った。その間に音楽を聞いたり、ニュースに耳を傾けたり、ぼんやりしたり。

特に私が気に入っていた坂は、自宅から一キロほどのところにあった。

緩やかな弧を描きながら長い距離をかけて降下し、同じようにゆっくり上がってゆくスケールの大きなディップで、相当なスピードで走っても上りきるまで数分はかかった。ちょうどボウルの底にあたる真ん中は、谷間にかかる橋になっていて、その遥か下に小さな川が流れていた。沿道の雑記林の影に鹿の姿を見かけることもあった。

 

その坂のことを考えると、心に浮かぶ人がふたりいる。

まず、バラク・オバマ氏。

2008年の8月の末、民主党の大統領候補として党から指名を受けたとき、彼はコロラド州のデンバーで演説をした。8万人に及ぶ聴衆の前でおこなわれたこのスピーチは、国民に強烈な印象を残した。3ヶ月後の本選の勝利を予感させる、格別のパフォーマンスだった。

私はこの演説を仕事帰りの車の中で聞いていた。

夜もだいぶ更けていたと思う。その坂にさしかかったとき、バックミラーに後続車がいないことを確認してから、私は窓を全開にして、車を大きく減速させた。なぜかそうしたくなった。

有色人種が大統領になるなんて絶対にあり得ないと思っていたのに、スピーカーから朗々と流れる自信に満ちた彼の声を聞きながら、「本当に歴史が変わるんだ」と感じていた。民主、共和だけでなく、無党派層にも団結を呼びかける(つまり多様性を訴える)若いリーダーの出現に、そして、かつての奴隷の末裔をトップまで押し上げるこの国の寛容さに、ありていに言えば、私は深く感動していたのだ。

だから速度を落として、ゆっくりと感傷に浸りたかった。秋の予感を孕んだ爽やかな夜風に吹かれながら、このまましばらく走っていたいと思ったのを覚えている。

 

もうひとりは私の次女。

まだ妻のお腹にいた頃だから、もう10年も前の話しだ。彼女がある障害を持っていることを医者に言い渡され、当時私は大きなプレッシャーを感じていた。実際に産まれてくるまで判別しない合併症の可能性も指摘されていて、いろいろ心配だった。

その日、そろそろ夕食を食べようかというころ、妻に大きな陣痛がきたので、私たちは車で産婦人科へ急いだ。

例の坂の途中で、丘と丘のあいだから覗いた夏の夕陽が車内を照らした時、ふと、まだ決まっていなかった彼女の名前を「晶(あきら)」にしようと思い立った。どんな状態で産まれてきても迎える準備はできた。すでに授かっているいのち、もうそこで燦々と輝いているだろう光にリスペクトをという意味もこめて、とびきり明るいイメージ、いや、光そのものを名前にしようと思った。

気持をこめてアクセルを踏むと、すごいスピートが出た。

坂を登りってふたつめの信号の向こうが病院だった。

到着して15分もかからなかったスピード出産だったので、その後はバタバタになり確認しなかったけれど、彼女が産まれたとき空はまだ明るかったと思う。

 

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