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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

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承認欲求を捨てなさい。ブッダはそう説いた。

でもSNSを覗くと、誰も彼もが承認中毒気味に見える。

 

「私、病気かもしれない」

知り合いのカメラマンが、聞き捨てならないことを言う。

「褒めらわないとやっていけないの」

一緒に写真を展示したことのある彼女が、近々個展を開くと言うので、「おめでとう」と伝えるとそんな返事をした。

他人に褒められたいから見せ続ける、そのために撮り続けている…

自虐すぎる自己分析だけど、言いたいことはよく分かった。

 

アウト。イン。アウト。アウト。アウト。アウト。イン。

アメリカで報道写真をやったことがある者なら、誰もが知っているこのサウンド。フォトジャーナリズムのコンテストで、審査中のジャッジたちが放つセリフだ。スクリーンに次々と映し出される自分の作品に、目の前で当落がつくのだから、すごい量のアドレナリンが出る。

田舎の小さな新聞社からスタートする若いカメラマンたちが、少しでも大きなマーケットで働こうと思えば、コンテストで入賞を重ねて名前を売ってゆくしかない。キャリアがかかっているから皆必死だ。

私もかつてこのレースに参加した。

12月に入ると、その年のポートフォリオを作り、何が足りないかを念頭に置いて仕事をした。事件の現場に向かいながら、ここでいい写真をゲットできたら、地元のフォトグラファー・オブ・ザ・イヤーを穫れるかもしれないと考えたこともある。ひどい話だ。

やらせがまずない米国の報道写真の世界で、たまにルールを破りが発覚して大騒ぎになることがあるけれど、それも過当な競争のプレッシャーが原因だと思う。

 

もちろんキャリア・ステップだけが、競争過熱の理由じゃない。

小さな賞でもいったん手にすると、人間欲がでるのだ。

あの高揚感をまた味わいたくなる。「いいね」は癖になる。

 

撮る現場から上がった今は、そんな熱狂からも解放さて、クールに対処できると思っていた。いい加減エゴだって飼いならせる歳なんだし。

でも先日、ある人からプロフィールが欲しいと頼まれたとき、以前のものを手直して提出したのだけれど、「写真賞多数」という箇所を迷ったあげく残した。

やたら賞好きの国で長年働いたのだから、そして、上に書いたような業界の事情があるのだから、受賞はあって当然のこと。ほとんどローカルのものだし。

それなのに削らないのは、承認欲というよりは自己顕示欲か。

病気なのは私の方かもしれない。

 

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