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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

小説の話

読みかけのままの小説が増えている。以前は一度手にしたら、ちゃんと最後まで読み通したのに。

好きな作家の作品でも、途中でつまらなくなると止めてしまう。こんなはずじゃないと思い、もう一度トライしても続かない。いとうせいこうの「我々の恋愛」も、小川洋子の「ことり」もダメだった。

純文学が面倒になっていて、そのことと関係しているのだろうか。筋を追いながら読むようになっているからだろうか。

でも町田康の「珍妙の峠」は、特にストーリーのない奇譚だったけれど、終わりまで惹きつけられた。途中で何度も笑ったし、ひょっとしたら彼は日本のサミュエル・ベケットなのかもしれないと思い、ページをめくるのが惜しかった。

 

小説の魅力といってもいろいろだけど、まず語り口がしっくりくること。ここは好みの問題ですね。そのうえで、私はいつも違和感を感じたいと思っている。齟齬とか意外性とか、何これ? みないな感覚。読みながら自明なものが揺らぐ感覚は、読書の醍醐味のひとつだ。

でもこれにはけっこうエネルギーがいる。よく若いうちに乱読しておけと言うけれど、確かに時間と体力があるうち出会っておかないと、たぶん一生手に取らない本はたくさんある。勤め人は忙しくて時間がないし、中年になると頭も固くなってくるので、没頭することが求められる読書なんて億劫になる。

だいたいベケットの作品がそう。いまさら埴谷雄高やトーマス・ピンチョンに挑戦しろと言われても困るし、「百年の孤独」も「ユリシーズ」も「失われた時を求めて」も、いつかいつかと思いながら結局そのままになっている。永遠の積読(つんどく)という言い方があるらしいけど、買わずに考えているだけなら完読する日はもっと遠そうだ。

学生のころは、読んでも理解できない本が多かった。誤読もあっただろう。そう言う意味では、ある程度の人生経験を積んだ今こそもう少し豊かな読書体験をできそうだけど、平日は仕事に追われ、休日は休日で疲れてダラダラして終わるのだから話にならない。

開高健は青年のころ、本屋の書架を埋め尽くす大量の書物の前で「全部読破してやる!」と心を燃やしたらしい。そこまでじゃないけれど、私も学生のときは「あれを読もう」「これもあったか」と本屋で気持が昂ったのを覚えている。

それが今では、本屋は見かければ立ち寄るけれど、何も買わずに出てくることが多い。情報量の多さに屈しているのか。

そういえば、帰国後わりに頻繁に行った渋谷の本屋は、キューレーションの小さな書店だった。店のオーナーとスタッフが選んだ(ということになっている)本のみが置いてあり、新刊や新書はほとんどない。そんなおせっかいしてくれるなと、以前の私なら反撥を感じただろうけど、正直ありがたく感じた。仕事場が変わったのでもうそこにも行かないけれど。

 

そもそも帰国する前から、本屋は微妙な場所になっていた。

アメリカの本屋は広いし、置いてあるソファーやテーブルはゆったりしていてとても贅沢な空間だ。でも自分が知っている作家、読める本がめったにないから、楽しいというより途方に暮れることの方が多かった。

読みやすい平明な文章で書く、コーマック・マッカーシーやポール・オースターの新作が出てないかチェックしたら、それで終わり。あとは写真集の書架の前で時間を過ごした。

たまに奇跡的にわかりやすい話題の本があったけれど、それはかなり稀なことだった。評判の現代作家と聞いてチャレンジしても、私の語学力では歯が立たなかった。ジョイス・キャロル・オーツもドン・デリーロも挫折したし、カズオ・イシグロは何の話かさっぱりわからなかった。ジュンパ・ラヒリは短編が読めたので長いのを買ったら、数ペーシしか続かなかった。

ちなみに原文のとっつきやすさは、その作家が海外で売れるためのひとつの条件ではないか。例えば、オースターが地元アメリカより日本やフランスで人気があるのは、彼の文章の読みやすさが助けになっている気がするし、村上春樹があれほど海外で読まれているのも、日本語を学んでいる外国人が原書で挑戦できることがひとつ要因になっている気がする。「ライ麦畑でつかまえて」がロングセラーなのも、世界中で若者が英語のテキストとしてふれ続けるからじゃないか。

 

映画「麗しのサブリナ」に、主人公の執事だったか、物静かな中年男性が脇役で出てくる。彼は与えられた仕事を最低限こなす以外は、屋敷の一室に引きこもってひたすら本を読んでいる。男がその仕事を選び、世捨て人のような生活をしているのは、すべて読書に没頭するため...。確かそういう設定だった。

ストーリーに関係なくちらりと出てくるその場面が、なぜか印象に残っている。

仕事より趣味、というか、趣味を持続してやるために働いている、という人は実は結構いるようだ。アメリカでも目にしたし、日本にも多いのではないか。そしてその趣味が小説を読むことという人は、どれくらいいるのだろう。

 

私の家から一番近い本屋は、ヤマダ電機の中にある。正確には本屋じゃなくて、電気屋の中にある本の売り場なのだけど、ここがけっこうな数の文庫本を揃えている。

このあいだ整髪料を買ったついでに、立ち寄った。

その日はコンタクトも眼鏡もしていなかったので、顔を書架に思い切り近づけて、あ行からタイトルを目で追っていった。なんとなく気になるものを手にとるのだけど、どれも気乗りがしない。だいたい本がキツキツで収められていて、棚から抜いて戻すのがひと苦労なのだ。

池澤夏樹、いとうせいこう、奥田英郎、江國香織… 特になし。

「ヤマーダデンキ!」と連呼する大音量の宣伝を聞きながら、やっと江戸川乱歩までたどり着いた。彼の作品はもう何十年も読んでいない。

「江戸川乱歩名作選」をひっぱりだすと、真っ黒を基調にした表紙には、血まみれの手袋と、階段の踊場と下でそれぞれ佇む男女が灰色で描かれている。題字はゴシックっぽい金色。

そういえば小学生のころ、「怪人二十面相」シリーズに夢中になったんだった。調子に乗って彼の大人向けの作品にも手を出して、怖くて夜眠れなくなったことを思い出した。

なんだかうれしくなり、か行以降はぜんぶ省略することにして、その一冊を買い求めた。

あれからひと月たつけれど、七つある話のうち、まだ最初の「石榴」しか読んでいない。

 

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