香港日記 2
Day 1
入国審査官がパスポートを投げて返した。ボーっとしていた私は、それで目が覚めた。ここは日本じゃないんだ。
香港駅からホテルへはリムジンで行く。前に来たときはタクシーの運ちゃんと口論になったんだった。「ホテルまでいくら?」と尋ねたら、「ここは中国じゃない!そんなこと聞くんじゃねえ!」怒鳴られてたので、「何が悪んいんだ!」と怒鳴り返してしまった。言い合いが続き、最後によろしくない言葉を使って車を降りたら、彼も降りてホテルの入り口まで追いかけてきた。あれにはビビった。
街の中心部にバリケードが張り巡らされている。後で聞いたら、野外コンサートが終わったばかりとのこと。「水曜日のカンパネラ」がウケていたと聞いて嬉しくなる。コムアイのことを「彼女は日本のビョークだね」と同僚が言っていたけれど、おい、それはちょっと褒めすぎじゃないか。
チェックインを済ませてから、ジャージに着替えて外へ出る。街中の球技場で草サッカーをやっているのを前回見たので、混ぜてもらおうという魂胆。でもその日はミリタリー・スクールの催しだろうか、グラウンドは制服姿の若者で溢れていた。諦めて散歩へ。
夕刻の路地を上下ジャージ姿でうろついていると、すっかり街に溶け込んでいるような気分になる。
Day 2
職場は相変わらず寒い。昼休みに外へ出て、でも時間がないので近くのカフェへ。「インスタントラーメン・45ドル」の表示に目が行ったのは、体が冷えていたからか。まさか本当にインスタントじゃないよなと思いつつ頼んだら、スープと麺がそうだった。では出てくるまでの10分間、コックは何をしていたのだろう。
早くも疲れてしまい、夕食はホテルの部屋で。イギリスの統治下にあった香港ならフィッスアンドチップスは美味しいはず、などと雑な考えで注文したら、いたってフツーだった。
パソコンでダウンテンポを聴きながら、音を消したテレビでサッカー観戦。プレミア・リーグ専用のチャンネルだけで3つあるけど、普段見れないスペインリーグ(ビジャレアル対アトレチコ)を選ぶ。すごいプレーの連続に感嘆。見慣れているJリーグとくらべるのは… やめておこう。Jリーガーたちだって私から見れば超人なのだ。
Day 3
職場のパントリーに人が集まっている。見に行くと、ゆで卵が出ていた。お皿に二つ三つ取る人もいて、フルーツも山盛りだし、朝から皆食欲がある。そう言えば出勤途中で見かけた勤め人たちの歩き方も、清掃人や新聞を売っている人たちの身のこなしも、エネルギッシュで精力的だった。どんよりとお疲れ感が漂う東京の通勤風景とはテンションが違う気がする。
昨日の記事に「高い技術をもつ外国人への魅力度ランキング」なるものが出ていて、日本はアジア11カ国中なんと最下位にランクされていた。言葉の壁とか、税制とか、いろいろ理由はあるらしいが、働く場所として魅力に乏しいという評価はとても痛い。観光地として人気はあっても、仕事をしたい、住みたいとは思われないのだ。
日本の政府は移民をシャットアウトし続けながら、高度な技術者だけを呼び込もうという身勝手な画策を続けているが、そもそも彼らの方からそっぽを向かれていることになる。
Day 4
今回の出張の目的は、ニューヨークから香港に来ていた、ボスのボス、つまりビジュアル部門の新しい統括者に会うこと。テキサス出身の元フォトジャーナリストの彼は、快活で明朗だった。やはりアメリカ人のことは、そしてカメラマンのことはよくわかる気がする。
就業後の飲み。私は聞き役に。丘の中腹にある中華レストランのテラスは、夜風が爽やかで気持よかった。
シャワーを浴びてそのままベッドで寝入ってしまう。目覚めたら午前2時。このホテルの部屋の調度はすべて重厚な木造りで、建物の古さを感じさせるけど、スピリチュアルな人なら幽霊が見えるにちがいないヤバい雰囲気がある。
すっかり目が冴えたので、日本から持ってきた本を広げる。ロベルト・ボラーニョの「2666」は、二段組で850ページを越える超大作だ。相撲取りの弁当みたいで、こんな重い本を出張に携帯するのはナンセンスだけど、普段なかなか読む気にならないので持参した。ひたすら拡散するエピソード。通奏低音として流れる狂気。異国の古いホテルで読むにはぴったりの小説だった。
Day 5
最終日の今日は、昼まで仕事をしてそのまま帰路に。余裕を持って出るつもりだったのに、また日本の会社(三菱電線工業)の改ざんが発覚してカメラ取材の段取りに追われ、空港への到着がギリギリになった。
遠くで誰かが叫んでいる。声の主を探すと、飛行機会社のスタッフ数人がこちらを見ながらカウンター越しに「Mr. Iwabu!?」と聞いている。普通に歩いていたし、周りにもたくさん人がいたのに、遠くからピンポイントで国籍を判別された感じだ。
なんだ、ぜんぜん溶け込んでないのか。今度は空港にもジャージで行こう。