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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

ヒリヒリの空気

Sunday is the most segregated day in America.

「アメリカが最も分断される日は日曜日」という言い方がある。

集う教会が人種間でほぼ別れているから、神聖とされる日に一番バラバラなのは本当だ。午後になれば、NFLとかNBAとか国を挙げての「儀式」があるので、朝の隔離はスポーツ観戦で少し解消されるけど。

私の印象では、日曜日の教会以外にも人種ではっきり別れる場所がアメリカにはあって、それは髪を切る場所です。

ほぼ例外なく白人は白人に切ってもらうし、黒人は黒人の美容師や理容師のもとに通う。フォトエッセイの撮影で、ノースカロライナ州の黒人経営の理髪店に数ヶ月かけて出入りしたことあるけれど、黒人以外の客は現れなかった。テーンエージャーの間でヒップホップの人気は人種を問わず高くて、ミュージシャンのカッコを真似る若者も多いから、ひょっとしたらその手のボーイズが来るかと思ったけれど皆無だった。

髪の質が違うから、と言えばそれまでだけれど、髪の毛を触る、触られることは実はとてもプライベートな行為で、多民族が暮らすこの国でも、人種の違う者に頼むのはハードルの高いことなのかもしれない。

 

ではアメリカにいたころ私はどうしていたかというと、予約を取って行動することを面倒くさがるズボラだから、目についた場所にアポなしで入るという暴挙を行なっていた。それじゃ上手く切ってもらえないし、東洋人の男が突然店に入ってくるのだから、店の方もかなり困惑したと思う。

お洒落な美容室のお姉さん(白人)は、私を担当することが少しだけ誇らし気であるようで、その実かなり緊張していたし、ショッピング・モール内の理容室のおじいさん(黒人)にとっては、長いキャリアの中でも経験のない出来事だったようだ。彼にはすべて切り終えてから、「アイ・アム・ソーリー」と耳元で重々しく謝られた。鏡で見ると、左右の長さが違っていた。

無難なのはガイジンなのだという結論に至り、イラン人や韓国人のおばさんにはよくお世話になった。彼女たちの腕が良かったというよりは、アジア人の髪の毛の扱いに慣れているというだけなのだが、少なくとも仕上がりにドキドキすることはなくなった。

昨今のアメリカの分断のニュースを聞いていると、そんな些細な経験を思い出す。人種をまたいで日常的に起こるちょっとしたフリクションにどう対処するのか。皆あってなきが如しと振る舞うのだけど、そこをスマートに切り抜けるのがリベラルで、前もって回避するのが保守といったらあまりに雑な分け方だろうか。

豊かなリソースと優れた憲法が身近にあり、よそ者には寛容で、正しいことは正しいと理念を振りかざせる場所。タガが外れてしまったようなここ最近は知らないけれど、簡単に言うと、これが私の知っている米国の姿です。

でも沢山いる人種は、大抵は融合なんかしちゃいない。それぞれがそれぞれの場所で暮らしている。仕事場、学校、それにパーティーと、肩を並べる機会はデフォルトとして日常にあるのに(私の娘たちが乗った黄色いスクールバスは、人種のるつぼだった)、お互いのことを知らない。微妙な空気が流れたら、「正しさ」を標榜して明るくドライに乗り切るのだが、その刹那のヒリヒリとした高揚感に私はいつもアメリカを感じていた。

彼らが少しだけハイになっているを私は知っている。

でも近づきすぎてはいけない。

並んでフットボールを見るのはOKだけれど(ハイタッチは一瞬のことだ)、髪の毛を20分ものあいだ触ってもらうのは、客とはいえ少し過ぎたリクエストなのだ。

 

物事の動くスピードが速く、極端に振り子が揺れるこの国のことだ。今叫ばれている分断も、11月3日に向けてもう埋まりつつあるように見える。でもよく指摘されているように、沈みつつあるミドルクラスの暮らしを食い止めないかぎり、寛容さはますます薄れるだろうし、頼みのサブカルもコロナ禍で不調だから、アメリカの前途はやっぱり多難に見える。

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