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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

安倍首相の思い出

「限られた時間のなかで、ルールに基づいて記者会見っていうものは行われております。ですから早く結論を質問すれば、それだけ時間が浮く訳であります」

そう言い放って彼は、口の端を引き上げて笑った。記者たちからも小さな笑い声が起こった。

先日の菅官房長官の、首相レースの出馬表明会見での一幕だ。

時間を延長して対応して、なるべく多くの記者を当てるよう努めているように見えた。批判の多かった安倍首相の会見手法、つまり、質疑応答を含めて事前に作った原稿を読むなどという茶番はもう続けられない、そういう姿勢も垣間見えた。

ただ東京新聞の記者から、首相になったら充分に時間をとった上で、自分の言葉で会見に臨むのかという正にこのことについての質問が出ると、彼女が簡潔に聞かなかったことに突っ込んで、長官は冒頭のコメントを口にした。

これを笑えるか笑えないかは別にして、記者相手に直接切り返したことで、しかも答えになっていない答えで終わらせたことで、国民に向かって喋っているという意識が彼にも希薄だということが見事に露呈した。官房長官として日々行なっている彼の会見を見れば特に驚きはないのだが、これから先のことを考えるとやはり暗い気持ちになる。

 

2015年、安倍首相と日本のマスコミが恥をかいた国連での会見時、私はNHKの放送センターにいた。当時「ニュースライン」という英語の報道番組の外部スタッフとして働いていて、何人かの同僚と一緒に、その会見を生で番組内に流す作業を割り当てられていた。

私が与えられた役割は、画面の下に流れるテロップ(首相が経済について述べる下りには例えば「Abe Vows To Push Through Abenomics」とか)を用意して流すことだったが、会見の冒頭のコメントから質疑応答まで一字一句違いなく上がってきているのだから、難しい作業ではない。ちなみに、ブースに詰めている同時通訳者たちの手元にも英語に直された原稿が渡っていて、彼女たちはタイミングを合わせてそれを読むのだから、これを通訳と呼ぶにはかなり無理がある。

英語がネイティブのスタッフに見てもらったテロップを、横にいるグラフィック担当に手刀を振って合図を送り画面に出しながら、この虚しい会見ごっこを、ニューヨークのしかも国連の本部でやっている事実に愕然としていたし、末端で関わっている自分を呪う気持ちでもあった。

でもアメリカの記者は黙っていなかった。予定通りの質疑をした日本人記者たちの後で出て来たアメリカ人二人が、事前に提出した内容以外の質問をしたのだ。慌てた首相は、二人目のところで移民政策について問われているのに、日本では女性がとても輝いていて…などどまったく関係のない内容の手元のメモを読み始めてしまい、お付きの進行役が「時間切れ」と称して無理やり会見を終わらせた。

興奮気味に編集室に戻った私は、ひょっとして騒ぎになるのではないかと身構えたが、空気は特に乱れることなく、その後変わったことは何も起きなかった。

 

すでに指摘されていることだが、これは政治家の意識の低さであると同時に、メディアで働いている者たちの意識の低さなのだ。記者クラブの弊害は、私が学生のころから指摘されていたからもう30年以上が経っている。いい加減皆、大手メディアに属していることの既得権益を手放して、各社で結託して変えようとしなければ、不毛の劇はこのまま引き継がれていき、得するのはその時々の施政者だけということになる。

「更問い」とか「二の矢」などという言い方をするらしいが、答えに対して記者が更に問うということを許されない限り、本当の会見は成り立たない。それをルールとして認めるよう要求して、通らないのであれば、全社でボイコットするしかないのではないか。

 

ちょうど同じ頃だったと思う。安倍首相が渋谷のNHK放送局を訪れる、しかも英語放送の現場を視察に来る、という話が朝から出回っている日があった。いつもはラフな格好の職員何人かがスーツを着ていて、編集室の雰囲気もどことなく高揚している感じがあった。

いつ来たのか、結局、私自身は首相をチラリとでも見ることはなかったのだが、その日ずっと気になっていることがあった。気味が悪かったと言ってもいい。

「ニュースライン」はほぼ30分の番組で、それぞれが数分のニュース項目を一ダースほど積み上げてひとつの番組を作るのだが、時間とともに更新されていく(番組が乗っているNHKワールドは24時間放送している)構成は、担当する編集責任者の判断で決められていく。時事なのでトピックはいろいろで、暗いニュースやネガティブな話も当然入ってくる。

だがその日はしばらく、番組はなぜかポジティブなトーンのニュースで溢れていた。初めの方に並ぶハードニュースもの(「韓国の対日政策に大臣が異議を唱えた」)から、終わり近くの柔ネタ(「イタリアの小さな映画際で日本の作品がグランプリ」)まで、どちらかと言えば勇ましく、そして、間違いなく自国を礼賛する内容で見事に統一されていた。

忖度という言葉が巷に出回るかなり前のことだ。

 

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