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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

場違いな賛美歌

ワシントンD.C.の夜空に派手な花火が打ち上がった。

そこに大音量で流れる歌が「ハレルヤ」だったことに不意を突かれた。しかも二度かかった。一度目はカントリーっぽい女性ボーカルのカバーで。その後はステージに立ったオペラ歌手のライブで。

先月の末、ドナルド・トランプが共和党の大統領候補者として正式に指名されたとき、私は現地から送られてくる写真の「受け」を自宅でやっていたのだが、この事態に同僚の米国人フォト・エディターへ「レオナード・コーエンはこれを許すのか?」とチャットで送ると、「LOL」の後に「ありえない!」と返事がきた。

一瞬、永眠中だった棺桶の中の氏が不機嫌な顔で目を覚ます様が頭に浮んだ。

 

各方面でミュージシャンに断られて、大統領が選挙のキャンペーンに使える曲がないという話は聞いていた。今回どういう許可を取り付けたのか、あるいはカバーだとその必要がなくなるのか、ともかく「ハレルヤ」を選んできたところが意外だった。

多義的で生半可な意味付けを許さないこの詩を流すことの意図は何だろう?イメージの幅を広げて浮動票を取り込もうとか、何か狙いがあるのだろうか。テッド・ニュージェントばかりじゃ間が持たないのか。ひとつ言えることは、大統領本人の選曲ではないだろうということ。それは賭けてもいい。

ではその数日前の、民主党大会〆の音楽は何だったかというと、確かコールドプレイだったと思う。若々しくてアーバンなイメージだけど、マイナーになりすぎない…こちらの狙いはよくわかるが、でも、ジョー・バイデン自身がコールドプレイを好きなのかというと、これも間違いなくノーだろう。

 

灯りを消して、おやすみを言おう

しばらくは何も考えない

すべてを一度に理解しようなんて思わないで             

空から落ちてくる貴方を目で追うのはむずかい           

偽りの王国で、寝ぼけ眼の私たち

 
大統領候補として売り出し中のバラク・オバマが、私の好きなバンド、ナショナルの「フェイク・エンパイア」を宣伝の動画に使ったときは驚いた。当時はまだジョーカーだったとはいえ、911テロを彷彿させ、自国を「フェイク」呼ばわりしているとも受け取れる歌詞は、大統領選には過激すぎる。

ただ、投票の前にはもう止めていたので、彼の立ち位置が文字通りオルタナティブからメインストリームに以降するまでのつかの間の選曲だったのだ。これを見ると、アメリカではキャンペーン陣営が、刻々と変わる選挙の情勢を見ながら細部を修正して候補者のイメージ作りをしていることがわかる。

 

「最近こんな曲を聞いてます」

「私の好きなアルバムは◯◯です」

SNSが広まる前からキューレーション文化はもちろんあったのだが、中でも手っ取り早いのが音楽なのだろうか。確かに音楽の趣味は知らない人の印象づくりに一役を買う。

アメリカ南部の大学野球のリーグ戦の撮影に行くと、打席に入るバッターの名前が球場内にアナウンスされる度に、2、3秒それぞれの選手専用の音楽を流していて、面白いことするなと思った。選手が自ら好きな曲を選ぶようで、たいてい流行りのポップスやヒップホップなのだが、ピアノジャズを流すサウス・カロライナ大学の外野手が一人いて、私はにわかに彼の打席を応援した。

 

日本でもこれをやったらどうだろう。

次の総選挙で、キッシーが登壇するたびに斉藤和義をかけたら、ふっきれた感じがうまく演出できるだろうか。若い世代にアピールしたい政治家には今、藤井風がオススメだ。河野太郎はベニー・グッドマンとかビックバンドの誰かを選んできそうな気がする。

「雪深い秋田の農村の出」「叩き上げ」「無類のパンケーキ好き」

すでにこのイメージを確立した首相には、もう桜田淳子しかない。 

 

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