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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

契約社員

今回の転職がほぼ決まりかけたころ、両親に連絡を入れると、二人は揃って動転した。もう日本には帰ってこないと思っていた息子が、妻子と一緒に、つまり彼らの孫娘二人を連れて帰国するらしい。

数日後、電話をかけてきた父親は、先方からの返事を悠長に待っていないで「すぐに出社できると伝えろ」と声を高くし、替わって出てきた母親は、「誠意を見せないとだめよ」と哀願した。興奮ぎみの二人の声を聞きながら、私は正式に決まる前にこの話をしたことを後悔した。

ただ、今回、きちんとした契約は仕事を始める直前まで結ぶことが出来なかった。正社員ではなく、契約社員(正確に言えば業務委託契約)として雇われることになった私は、間に入るエージェント会社と転職先の都合で身動きがとれなかったのだ。具体的な契約を急いでほしいと頼むと、数ヶ月先の話を前もって取り決める慣例はないといなされた。「日本には、あうんの呼吸があるから、ここで急がせると逆効果になる」とエージェント会社の社長に諭された。このことを、私は両親に時間をかけて説明した。 

もちろん、長く契約社会で暮らしてきた上に、海を越えての転職の決断に迫られた私は、さすがにそれでは不安を払拭できず、結局親のアドバイスに従うかたちで慌ただしく日本に一時帰国をして、挨拶と条件の確認に走り回った。実はこの転職に尽力を注いでくれた方がいて、滞在中、彼は私を社内外のいろいろな人に引き合わせてくれて、最後に「これで大丈夫でしょう」と言って笑った。

ちなみに「突っ走れ」と私に助言した父は、かつては筋金入りのサラリーマンだった。生涯無欠勤で、残業も夜勤もいとわずやり、何度かあった国内転勤にも二つ返事で応じてきた。「男は仕事が一番だ」が口癖で、45年間ひとつの会社を勤めあげ、私の母はそのサポート役に徹した。  

日本での仕事始めの前夜、父は、居間を通った私に「お前、初出勤がんばれよ」と声をかけてくれた。でも、言った途端に照れくさくなったのか、「ま、初出勤って言っても、どうっちゅうことないけどな」とぶっきらぼうに混ぜっ返した。

 

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