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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

2014-01-01から1年間の記事一覧

湘南新宿ライン 3

おっさんの耳たぶなんか見たくない。おねえさんのうなじだってそんなに近くで見たくない。 誰のであれ、しみや産毛やほくろは見たくない。 つり革広告に助けを求めたり、目を閉じたり。スマホや文庫本に逃げるのが一番だけど、激混みの状態ではそれすら許さ…

偶然のことば

自分より年下が多い職場にいるからだろうか、同僚から恋愛相談をもちかけられることがある。たいしたアドバイスはできないので、話を聞くぐらいなのだが、嘆いたり喜んだりくるくる変わる若い人の顔は端で見ていても気持ちがいい。こういう感想を持つこと自…

撮らない至福

「最後の最後で、写真はどうでもよくなったんだ」 ケビン・リヴォリはテーブルの上に並んだモノクロのプリントの前で静かに言った。続けて「わかるだろ?」と同意を促した。 ニューヨーク州のロチェスターにある新聞社だった。仕事の面接に訪れていた私に、…

参観ブルース

娘の授業参観に行ってきました。彼女の小学校は私が通った小学校の近くにあります。 教室の広さは変わっていないので、生徒数の少なさが目立ちました。50人近くいた私の頃と比べるとほぼ半数。当時は机で埋まっていた教室の後方もぽっかり空いていて、親たち…

ベースボールとジャズと憲法と

ケン・バーンズという米国人がいる。ドキュメンタリーの世界の大御所で、彼が好んで使う写真接写のスローモーションは「ケン・バーンズ効果」と呼ばれ業界用語にもなっている。 彼曰く、アメリカには三つの偉大な発明がある。野球、ジャズ、そして合衆国憲法…

海辺にて

「僕みたいな人間をメンバーにするクラブには入りたくないね」とはウディ・アレンのよく知られたジョーク。いかにもな自虐ネタだけど、それは彼に「ユダヤ人」というクラブのレッテルを常に貼りたがる周りへの皮肉であり、異議申し立てでもある。 アメリカの…

いるのかどうかわからない

仕事に行き詰まりを感じたその日、私は昼休みを使って職場近くの公園を散策した。先月のことだ。 ベンチでくつろぐ人のなかに、サックスを黙々と吹く青年がいたので、私は自分が高校生の頃見た風景を思い出した。渋谷にはときどきレコードを買いにきたが、そ…

かわいい子の旅、一人ぼっち

お盆休み前の電車は空いていた。それでも通勤風の乗客は多く、私も仕事に向かう途中だった。 空いている席に腰を下ろして本を読んでいると、誰かが目の前を行ったり来たりする。顔を上げると年の頃7、8才の少年だった。カバンと水筒をたすき掛けにして、ど…

ヒロシマにまつわる個人的なエピソード

8時15分から始まる黙祷には、何か特別なものがある。 小さいの頃そう感じていたのは、何も私が8月6日生まれだからではない。 ただ、その日はいつも夏休みなので学校がなく、朝から家でテレビを見ていることが多かった。すると群衆が一分間こうべを垂れるあの…

ファンの愚痴

今となってみれば、「自分たちのサッカーをする」という選手たちの言葉はとても稚拙に聞こえる。まるで人生経験の浅い若者が、「自分らしく生きる」と宣言したみたいだ。誰が言い出したのか、このフレーズは繰り返し使われ、私たちファンは甘い夢をみた。 ど…

その華麗なる手口

私は今、とても人気がある。 知らない人たちからひっきりなしにメールが届き、写メを見てくれだの、ひと目会ってくれだの、何でもいいからとにかく連絡をくれだの、引く手あまたなのだ。 かる~くて卑猥な誘いがほとんどだが、なかには深刻な悩み相談もある…

ジュリー(写真について 4)

先日アメリカの友人と再会した。彼女はこの2、3年ほど体調を崩していたので、まさかこのタイミングで、しかも日本で会えると思わなかった。 待ち合わせ場所の東京駅に着くと、ブルネットのショートヘアの後ろ姿が見える。スレンダーで、ちょっと猫背。傍らに…

してやられた

ナイアガラ国際映画祭が始まったのは、90年代後半のこと。カナダの、今でもかなりマイナーな映画際だけれど、初年度は特に小さな催しだった。 滝の近くのホテルで開かれた前夜祭に行くと、名前も顔も知らない俳優や映画監督が談笑していた。彼らの写真を撮っ…

ボン・イヴェールが好きな3つの理由

音楽家は音楽評論家が苦手らしい。「あいつらは元々ミュージシャン志望だから、心のどこかでオレたちに嫉妬しているんだ」と言うロックンローラーさえいる。しかし彼らの作品を広く知らしめるには評論家の後押しも必要だ。作家と文芸評論家の間柄みたいなも…

全世界的なエントリー

私には20代の甥が二人いる。どちらもしっかりした好青年だ。上の彼はすでに就職していて、最近結婚して子供も産まれた。 その彼の勤め先がアメリカでも事業を展開しているという。 「じゃ、いずれはあっちに?」と尋ねると、「いや、別に」という返事。 外国…

捨てぜりふのすすめ

チャックは辛口な男だ。他人に口厳しい分、逆に口撃の標的になる。 先日のパーティーでも小賢しいことを言われて冷笑された。周りでも小さな笑いが起き、恥をかいたと思いきや、起死回生、彼はもっと辛辣な言葉でやり返す。相手は愚の音も出ず周りでは大きな…

メディア・ストーム

アメリカでは小さな街に住んでいたので、日本人が大勢で訪れると、それだけで地元のニュースになることがあった。 日本の色々なことに飢えていた私は、取材にかこつけて彼らに会いに行った。 学生と言葉を交わしたりビジネスマンと名刺を交換したりした。あ…

山田町再訪

「生きたかったら逃げろ」 何本目かの煙草をくゆらせながら、ボソッと東海林さんは言う。 「で、年寄りから先に見捨てろ」 彼にも家族がいる。だから「自分でもできっかわかんねぇけどな」とつけ加える。 あの日、彼の家族は海から遠いところにいた。自営の…

それはそれですごいこと

「岩部高明様ですね? お待ちしておりました」 大袈裟でなく、でも事務的すぎない。暖かいけれどクールに抑えが効いている。それがあまりにも絶妙な挨拶だったので、到着した仙台のビジネス・ホテルのフロントで、私は彼女に本当に待たれていたような気持ち…

続・繰り返すことの難しさ Part III

私は映画『スター・ウォーズ』を観たことがない。そのことをパーティの席で口にすると、目の前のアメリカ人に「お前はそれでも人間か?」と言わんばかりに驚かれた。 「『ゴッド・ファーザー』なら全部観てるよ」と切り返したが、その意味するところが彼に伝…

火星人となりそこないのヒーロー

職場の食堂でカレーを食べていたら、テレビのアナウンサーの絶叫が聞こえてきた。日本人の誰かがメダルを取ったらしい。よかったよかった。 でもそれがフィンランド人でも中国人でもアルジェリア人でも、私は同じように「よかった」と思う。最近特にそう感じ…

博士の異常な薄情

「外国人のアナタに、いったい記者が務まるのかね?」 革張りの大きな椅子に深く身を沈めたまま、クレッカリー博士はこちらをギロリと睨みつけた。彼女の黒い肌は机の上のランプの光でオレンジ色に染まっている。 私は驚いて、抗議の言葉を探した。 「そんな…

ダブルテイク

その女性は輝いていた。窓から差し込む朝日をいっぱいに浴びて、目を閉じながら、ラフマニノフのピアノ協奏曲に聞き惚れていた。 夜が明けて間もない渋谷の松濤。出勤前の一杯が飲みたくて開いたばかりの喫茶店に入ると、先客が一人いた。ブースの一画に座っ…