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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

品川駅のミステリー

発車間際の東海道本線。新橋駅のホームを女が急いでいる。

手に持った白いコートのポケットから、携帯電話が落ちた。小走りの彼女は落としたことに気づいていない。そのまま私が乗っている車両の隣に飛び乗ったようだ。

サラリーマン風の男が携帯を拾い、後を追いかける。

私の視界から消えた彼はでも、動き始めた車窓にまた現れて、悔しそうな様子で後戻りしている。間に合わなかったのだ。手には女の携帯があった。

一部始終を見ていた私は、すぐに隣の車両に向かった。携帯を落としたことを彼女に伝えれば、サラリーマン風が駅の遺失物に届けてくれるだろうから、それで一件落着だ。 

 

夜の通勤時間なので車内はわりに混んでいる。人の間を縫うようにして隣の車両にたどり着いた。滑り込みで乗ったのだから、女は一番近いドア付近にいるはずだ。

案の定白いコートの背中が近くに立っている。声をかけようとしてふと見ると、彼女は片手でスマホをいじっていた...。2台持っていたのだろうか? そもそもいつの間にコートを着たのだろう。

反対側を見ると、白いコートを膝の上に乗せた女が座っていた。目を閉じて下を向いている。よかった、そう思い、歩み寄ろうとすると、彼女の手にも携帯が握られているのが目に入った。よく見れば上着はベージュ色だ。

私はもう少し奥に進んだ。

すると今度は、白いコートを抱えた別の女が座っているのが見えた。彼女は大柄で、走り去ったときの印象にだぶる。でも女には連れがいて、黒いジャージ上下を着た男の肩に寄りかかっている。走っていた時は一人だったから、車中で彼と待ち合わせていたということなのだろうか。ジャージ男がこっちを睨んでいる。

混乱した頭でどうしようかと考えていると、電車はもう品川だ。この区間は5分と短い。とりあえず下車して、降りる人の中に慌てた雰囲気の女がいないか必死に探したが見つからない。そもそも目印の白いコートが見当たらないから、諦めるしかなかった。

 

何となくがっくりきて、そのまま次の電車を待つ気にもなれず、階段を上がった。飯でも食おう。品川は改札を出ずにお酒を飲んだり、和洋中なんでも食べれる便利な駅なのだ。

入ったのは豚骨スープで有名なラーメン屋で、食券を自販機で買いカウンター席に落ち着いた。店内は混んでいるけれど、客数以上に忙しい雰囲気なのは、従業員の対応が理由だろう。このチェーンは他の所で一度食べたことがあるけれど、そのときも記憶に残ったのは味よりも店内の空気だった。

「お待たせしました」

「ごゆっくり召し上がりください」

「いつもありがとうございます」

常套句を繰り返すだけなのだが、客の一挙一動に反応してくるので落ち着かない。カウンターの一番遠いところにラーメンが届いた瞬間に、厨房近くのお兄さんが「お待たせしましたー」と大声を上げるのだから、ノリは陽気だけれど、従業員の張り詰めたテンションがダイレクトに伝わってくる。

これが気持ちいいという客はいるのだろう。

でも私には、サービスが少しぐらい雑だったり遅くてもいいから、店員が楽しそうに働いている方がいい。無駄口を叩いているぐらいでちょうどいい。

 

そんな御託を頭の中に並べながら、そそくさと食べ終わり、箸を置いた。水を飲み干しながらちょっと身構える。

「お客様がお帰りです!」と店員の誰かが宣言すれば、呼応して感謝の言葉があちこちから上がり、店中に響くのだ。主役は私だ。

立ち上がり、上着を手に取ってバックパックを肩にかける。

あれ?反応がない。

椅子を元に戻し、ゆっくりと出口に向かう...。

一体どうしたというのだろう!?

自動ドアが開き、一度止めた足を踏み出したときは、もうほとんどお願いする気持ちになっていた。

駅構内に吸い込まれながら、全身を耳にして背後に集中したけれど、私への声がけは結局最後までなかった。

あれ以来、品川駅には下車していない。

 

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