f8

暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

かわいい子の旅、一人ぼっち

お盆休み前の電車は空いていた。それでも通勤風の乗客は多く、私も仕事に向かう途中だった。

空いている席に腰を下ろして本を読んでいると、誰かが目の前を行ったり来たりする。顔を上げると年の頃7、8才の少年だった。カバンと水筒をたすき掛けにして、どこかに遠出だろうか。何度も通り過ぎるので「誰か探してるの?」と声をかけると、びっくりした様子で「探してます… 」と口ごもりながら行ってしまった。

斜め前に座っている中年女性がじっとこちらを見ている。

本に戻ったが、少年のことが気になる。すると反対から車掌がきたので、迷子の子供がいるので助けてほしいと頼むと快く了解してくれた。数分後、車掌は戻ってきて「人ではなくて、眺めがいい席を探しているそうです」と笑いながら教えてくれた。

しばらくすると、またその少年がやってきて「そこ、座ってもいいですか?」と大きな声で言った。私の隣の窓際の席が空いていた。

席に納まった少年は、なるほど熱心に外の景色を眺めている。もう彼を驚かせたくなかったけれど、他にも席はあるのに隣にきたのだから怖がってはいないだろう、そう考えて「降りる駅はちゃんと分かってる?」と尋ねた。無難な質問だと思ったし、確かめておきたいことだった。「熊谷」が答えで、私たちが乗った駅から二時間近くかかる距離だったが、受け答え方を見るかぎり大丈夫そうだ。

それとなく見ると、体格はわりによく、くしゃくしゃの髪は溌剌とした印象を与えるけれど、水筒の中身をじっとのぞいてから飲んだり、ささやくように独り言をこぼす様子は幼くて、ふてぶてしく座っている大人たちに混じると心細い存在に見える。

降りる前に「気をつけて行きなよ」ともう一度声をかけると、彼は前を向いたまま頷いた。すかさず斜め前の女性が「気をつけなきゃいけないのはお前の方だ」と言わんばかりの目でこちらを睨んだ。

 

この女性の視線にいい気分はしないが、彼女を一概に非難できない。というのは、私は自分の娘たちに、知らない大人に話しかれられても相手にするなと伝えたばかりなのだ。子供に声をかける大人をはなから疑えという姿勢は同じだ。

つい最近も児童への犯罪が大きく報道されたが、この手の事件がある度に世間の親たちは似たような教えを子供に繰り返すにちがいない。私が最初に話しかけたときの少年の反応は、何度も聞かされているアドバイスをそのまま実践しただけなのだろう。

でも、なんか変だ。

帰国後しばらくして、日本では他所の子供にうかつに話しかけられない雰囲気ができあがっていることに気がついた。知り合いに「関わらない方がいいよ」と助言された事もある。一見これは子供を守っているように見えるけれど、実は面倒を引き受けたくない大人たちが子供をほったらかしにしているだけではないか。

私がその少年の年頃だったとき、友達3~4人とバスに乗り合わせたことがあった。どこへ向かっていたかは忘れたが、とにかく楽しくて、最後部を陣取ってはしゃいでいた。すると、前方に座っていたオジさんが立ち上がり後ろまできて「遊園地じゃないんだぞ!」と一喝を入れた。真剣に怒るその形相が怖くて皆でしょげ返ったのを覚えている。

子供には親以外の大人に怒られたり褒められたりして覚えることがある。身につけることがある。

親だって自分の子供を四六時中干渉することはできないから、家の外でそれとなく見ている人たちがいると感じられると心強い。些細なことかもしれないが、そう思えるか思えないかの違いは子育てをする上でも大きい。

 

f:id:majide0:20140811210737j:plain