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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

いるのかどうかわからない

仕事に行き詰まりを感じたその日、私は昼休みを使って職場近くの公園を散策した。先月のことだ。

ベンチでくつろぐ人のなかに、サックスを黙々と吹く青年がいたので、私は自分が高校生の頃見た風景を思い出した。渋谷にはときどきレコードを買いにきたが、その後によくこの公園を訪れたのだ。

ある時、園内の鉄橋の下でサックスの練習している若者を見かけたことがあった。あれは冬で、奏者は女性だった。彼女の険しい横顔がかっこいいと思った。当時観たジム・ジャームッシュの映画「パーマネント・バケーション」の印象が強烈だったので余計にそう感じたのかもしれない。

 

気分転換も済み、仕事場に戻る時間になった。行ったことのない南側から外に出ることにした。

園内に立てられた地図を頼りに進むと、だんだん辺りが薄暗くなってきた。人の気配がない。引き返そうか迷っていると、重なり合う木々の間から人工的なブルーが一瞬のぞいた。近づくと、シートを張り巡らしたホームレスのテントが並んでいた。数十ではすまない数だ。

身構えるようにして小径を歩いた。ついさっき公園の中央で感じた明るさが嘘のような陰鬱さだ。ゆるやかな勾配を越えたところで意外な光景に出くわした。

テントの前に二人組。一人は明らかにここの住人で、向き合って座るもう一人が若い女性。相づちを打つ彼女の横に三脚が立ててあり、その上に小さなデジカメが乗っていた。大学生かもしれないし、駆け出しのジャーナリストかもしれない。いずれにしろ、華奢な身体をまっすぐにして話を一心に聞いている姿が眩しくて、私は自分のダメさ加減を思い知らされたような気持ちになり、そそくさと門を出て公園を後にした。

 

その代々木公園・南門を再訪したのは昨日、つまりデング熱対策で公園が封鎖されて2日目のことだ。

門にはバリケードが張り巡らされていて、制服を着た初老の警備員が立っていた。柔和な対応をしてくれた彼の口調も、話しが進むにつれて歯切れ悪くなった。「テントの…」という私の言葉に「ああ、ホームレスの…」とすぐ反応したのに、「どんな対応してるんですか?」という問いには「いるのかどうかも確認できませんから」と口を濁した。

勝手に住みついている人たちのことはわからないということだろうか。都としてはルール違反を見逃している事実を公に認められないので、表向きは彼らをいないものと見なしているのかもしれない。あるいは駆除を理由に、テントの撤去に動くのだろうか。ちなみに南門付近でもデング熱ウィルスを持った蚊が採集されているという。

 

何を言っても中に入れそうにないので、私は踵を返した。

顔を上げると、右手に新宿の高層ビルが見えている。左手に公共放送のビルの上の巨大なアンテナ。正面には日本でも有数の一等地が広がり、外国大使館や政治家たちの家々が並んでいる。

道すがら公園に沿って歩いたが、塀の向こうの様子はまったく分からなかった。

 

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