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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

道南日記

Day 1
なんとか仕事終えて、丸の内改札から八重洲側に東京駅を横切り、 青森行きのバスに乗った。ひとりで北海道に行くと言うと、同僚に「大丈夫?」と言われた。ほっといてくれ。

ウェスト・バージニアからコロラドまで28時間かけてバスで移動したことがあるけれど、日本では初めての長距離バスだ。しかも夜行。当然ながら夜に乗ると運賃が安いだけでなく、ホテル代が浮き、休み明けの初日から現地で動けるというメリットがある。

でも熟睡はできない。途中で大きく揺れて嫌な連想をしてしまった。乗る前に立ち寄った本屋で「永い言い訳」の文庫本が平積みにしてあるのを見かけたからか。あれはスキー旅行に出かけた妻が、バスの事故にあって還ってこなかった男の話だ。

 

Day 2
青森のフェリー・ターミナルで降りたときは、眠くて朦朧としていた。津軽海峡フェリーは思いの外大きかった。雑魚寝の「スタンダード」から「ビューシート」にアップグレード。両隣は観光中らしい大人しい若いカップルと、こざっぱりした身なりの白髪の中年男性。このオヤジが旅行なのか出張なのか見た感じで判別がつかない 。隙がなく、話しかけられる雰囲気でもない。強いて言えば刑事みたいだった。

3時間半で函館に着く。東京を出てから約15時間。ターミナルから街に向かって歩くと、大通りなのに歩道に人の姿がない。そこかしこに停っている車内には人影が目立ち、スマホをいじったり、居眠りしたりしている。ディーラーもたくさん並んでいた。 地方ではまだまだ車が生活の中心ということか。 

函館駅の前に出ると、突如スーツケースを引いた群衆が現れる。一斉に向かう先に観光客相手のいかにもという感じの市場。これだけ情報で溢れているのに、だからこそなのか、観光客は同じものを見て食べている。それに反撥する気持になり、お昼は市場ではなく、地元民が行く風情の食堂に入ったけど、出て来たイカ刺しはまあまあだった。

でも滞在を通じて食した海の幸は、やっぱり美味しかった。定食の漬物や居酒屋の突き出しからして味が違うし、寿司なんか、東京で我々は一体何を食わされているのだろうと考えさせられるレベルだった。

 
Day 3
「何泊の旅行ですか?」と聞かれて、「決めてません」と答えると、一様に羨ましがられた。いいでしょう。私だって久しぶりの贅沢だ。

ただ宿を聞かれて、「カプセルホテル」と言うと、皆さん一瞬間が空いた。でもね、最近のカプセルホテルってすごいんだよ、泊まった函館のそれは神レベルの清潔さで、ドアつきの個室タイプもあるし、共有スペースは今時のシェアハウスっぽくお洒落で、つまり他人とふわっと交われるきっかけを与えてくれるのですね。別にそこは求めてないけど。

路面電車の一日乗り放題のパスを買い、函館市内と湯の川を行ったり来たり。適当な駅で降り散歩して、温泉に入り、地ビールを飲んで、また車中に戻る。ゆったりとしたトラムのリズムが心地いい。何度か寝落ちした。

この辺りの店のネーミングが気になった。スナック「無愛憎」とか、バー「Too Late」とか、あまり入る気がしない。理容室「Famous」で散髪は恥ずかしい。 うどん屋「だるま」、これはいいね。ネーミングの問題じゃないけど、「太宰耳鼻咽頭科」には目がいった。ちなみに「太宰心療内科」とかあるのだろうか。流行るのか、ダメなのか。

太宰と言えば、函館文学館には行かなかった。最寄りの駅で下車しようと思いつつ体が動かなかった。石川啄木とか井上光晴とか、土地にゆかりのある作家が取り上げてあるらしい。亀井勝一郎なんて懐かしい名前もあった。

佐藤泰志は読んでいない。同世代という括りで村上春樹とも比較される「不遇の作家」(芥川賞候補5回、若くして自死)は、死後に函館市民が盛り上げたことで知名度が全国区になった、まさに郷土の作家だ。でも妻子に暴力を振り続けたなどと聞くとちょっと手が出なくなる。

この旅に携帯した単行本はレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」。チェーホフの何かをと思って本屋に立ち寄ったのに、なぜか一冊もない。仕方ないので同じ「チ」並びで買った。新しい村上春樹訳と、古い清水俊二訳が並んでいたが、あえて後者に。これ以上ハルキワールドに脳内を侵されてたまるか。

夕刻、函館山頂上へ。60周年記念でロープウェイが無料だったためか大混雑だった。お決まりのコースだが、こちらは一見の価値ある、見事な景色だった。

Day 4
一路、小樽へ。この街は初めてではない。

19の冬、突然「流氷が見たい!」といきり立った私は、金を持たずに横浜の自宅を出た。アルバイト先の運輸会社のトラックの運転手たちに乗せてくれと頼み、あっさり断られると、そのまま2日かけて青森までほぼ無賃乗車で行った。訪ねた後輩に「キセルはやめてください」と言われ、借りたお金で道内はちゃんと電車に乗った。

到着した紋別駅の外で夜を明かしていると、ちょうど寒波が押し寄せたらしく、心配してくれた駅員が構内で寝かせてくれた。夜が明けて海まで歩くと、その年の最初の流氷が岸いっぱいに広がっていた。

その帰途に立ち寄ったのが小樽だった。当時どうやって情報を得たのだろう、市内で一番安いと謳っていた「旅人の宿」で一泊したのを覚えている。バックパッカーなどという格好いいものではない。チェックインすると、放浪中の若者たちが7、8人、暗い顔をして集っていた。

夜が更けると、冷たい畳に全員であぐらをかいて車座になり、宿の主を囲んだ宴が始まった。振る舞われたのは底に水を張って凍らしたコップに、ウイスキーをほんの少しだけ注いだ即席のロック。開高健がよく回想して書いていた、戦後のトリスバーのスタイルだったのでびっくりした。話すうちに主人の口調が激しくなり、「あいつらサラリーマン」に対する揶揄と呪詛の言葉が繰り返された。傍で美人の奥さんがうつむいて聞いていた。

あの時、運河を見たのか思い出せない。

今回の小樽は生憎の雨だ。まっすぐ運河まで行き、人気のない遊歩道をひとしきり歩いたが、良さがまったくわからなかった。


Day 5

今日は本州への移動日だ。バスで函館に戻り、再び津軽海峡越えのフェリーに。

昨夜は札幌に泊まった。ススキノであわよくば仕事(会社で用意している記事の撮影)をという魂胆だったが、ホテルを出る前にカルロス・ゴーン逮捕のニュースが飛び込んできて、大騒ぎになった同僚たちのチャットに加わることに。

先を急ぐのは別件で秋田市内のタクシーの運転手を撮ることになったから。結局仕事からは逃れられない。自分でそう仕向けているのだけれど。

この旅でうまく行ったのは函館だけで、慌てて立ち寄った小樽と札幌には振られた感じだ。だから「道南日記」。

でも欲張ってはいけない。30年ぶりに訪れた北海道は素敵だった。

今回実感したのは、北海道は「日本のアメリカ」だということ。先に書いた車社会の件しかり。広大な土地しかり。大きくて明るいつくりの家々は、私が見てきた米国の田舎の風景を想起させてくれる。

そして何より、人々の印象だ。居酒屋で、路面電車で、そして街中で声をかけると、彼らは皆フレンドリーだった。でも聞いたぶんしか返ってこない。微笑みながらでも一歩手前で踏み止まり、立ち入ったことを尋ねてこないので、どこまで会話を進めるのかはこちら次第だった。その陽気さと気遣いの絶妙なバランスがありがたく、オープンだけど馴れ合わない逞しさは、どこかアメリカ人に通じるものがあり、それが開拓民の末裔の気質なのだと勝手に解釈しながら、道中私はずっといい気分で過すことができた。

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