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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

ラフォーレで健診

東新宿の小綺麗なビルに到着すると、ロビーには出迎えがいた。

スーツを着た女性は、私の来訪の目的を確認しながら素早くエレベーターのボタンに手を伸ばした。エレベーターの降下を待つ間、彼女は少し離れたところで半身に構えていた。話しかけたら機敏に対応してくれたにちがいない。

男性と女性でフロアが違うというので、男の階で降りると、目の前に明るいエントランスが広がった。待ち受けていた別の女性に促されて、スリッパに履き替え椅子に座った。これがこの日何十回と耳にした「こちらにお掛けになってお待ち下さい」の初回だった。

名前を呼ばれてカウンターに行くと、手首にコンピューター・チップの入ったブレスレットをはめられる。私は「30番」らしい。清潔なロッカーでオーシャンブルーのトレーナー上下に着替えてから待つこと数分、もう一度名前を呼ばれ、健康診断が始まった。

 

アメリカできちんとしたものを受けなかったので、フルの健康診断は初めてだ。医療費が高額なアメリカでは、必要に迫られないと病院には近づかない。かかりつけの医者に頼めば受けられる簡単な健診も私はずっとパスしてきた。

ということで今回日本での健診にデビューしたわけだが、クリニックの予想外のサービスに私は面食らってしまった。

まず働いている人がやたら多い。しかもほぼ全員が若い女性。事務員とスチュワーデスの間をとったような制服を着た彼女たちが手取り足取りサポートしてくれるのだが、バリウムの粉が口元についていると言ってはティッシュ・ペーパーを手渡してくれ、トイレに立つ背中にはいちいち「いってらっしゃいませ」と囁いてくれる。(彼女たちの表情を観察すると、かなり辛そうなのだが)

スタッフは数だけでなく、その配置に妙があるようだ。身体測定や視力検査など簡単な作業はこの女性たちが受け持ったが、レントゲンや採血には白衣を着た(たぶん)医療技師が対応した。胃の検査をしたのは小学校教諭風の男性で、採血はお母さん風の女性だった。つまり、持ち場ごとに違うスタッフのイメージがいちいち適材適所なのだ。

最後にピンクの看護服を着た美人に案内されて医者の部屋に通されるのだが、待っていたのはいかにも聡明な感じの女医だったので、私は笑い出しそうになった。これじゃまるでTVドラマだ。

 

労働安全衛生法で法人に従業員の健診を義務づけている日本では、健診サービスは大きなビジネスなのだろう。競争はきっと熾烈なのだろうが、診断に訪れている人の多さを見るかぎり、このクリニックは繁盛しているようだ。

ということは、この過剰な接客サービスの評判は良いのだろう。さらに言えば、昨今の日本男子が求めているものがここに提供されているということになる。診断が終了した後に立ち寄れるネット環境完備のラウンジでは、おっさんたちが満足げにコーヒーの飲みながらまったりしていた。

私がひとつ気になったのは、スタッフの喋り方だった。優しさは接客の域を微妙に越えているのだが、よく聞くと子供に話しかけているようなトーンなのだ。バリウムを飲んでベッドの上でぐるぐる回る私に教諭風は小学生を諭すような調子で指示を出したし、採血に固くなっている私にお母さん風は近所の子を言い含めるように喋った。

 

バリウムを出すための下剤を飲んだ私は、健診を終えて外へ出た。ほんの数時間のことだったが解放されるとやはりほっとする。

「食事は普通に」ということだったので、私は目についた牛丼屋に入った。

「いらっしゃい」という突き放すような力強い声が耳に心地よかった。子供のように扱われることに私は居心地の悪さを感じていたのだ。

声の主が注文を取りにきたので顔を上げると、意外に若い、色白の青年だった。社員なのかアルバイトなのかわからないが、頑張って働いている感じが滲み出ている。

彼はもう健診は済ませたのだろうか。

 

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偏向報道と私の偏見

兵庫県西宮市の今村岳司市長が発表した、偏向報道への対策が議論を呼んでいる。

今後メディアの取材を受けるときは、市の職員もその様子をビデオで撮影をするという。そして、報道が偏っていると市が判断した場合は、その特定の報道機関の取材には一切応じないというのだ。

決断のきっかけになったのは、阪神大震災の被害者の復興住宅についてのテレビ番組らしい。住宅の市への返還日が迫っているが、番組は市が行っている支援策には触れることなく、一方的に入居者を追い出しているように報じたという。

偏っているかどうか判断するのは視聴者で、市長の役目などではないし、彼は何か大きな勘違いをしているようだが(その後「取材拒否」方針は撤回すると発表があった)、メディアに対して難癖をつけたくなる気持ちもわかる。少なくともその番組が市に対してアンフェアだったことは容易に想像がつく。最近私は似たような話で似たような偏向報道を目にしているからだ。

 

2020年に開催される東京オリンピックの影響でなくなる団地がある… という新聞記事を読んだのは半年前のことだ。

メイン・スタジアムの建設にともない、近くの都営団地が取り壊される。そもそもこの団地は1964年の東京オリンピックがきっかけで建てられたらしい。現在の国立競技場を作るため、一帯の木造長屋を取り壊して、住人たちを競技場の近くに建てた団地に移動させた。つまり最初から住んでいる人々にとっては今回が2度目の立ち退きになる。

相談ではなく事後報告だった、という東京都の対応を含めて、記事は「理不尽な強制退去を許していいのか」というトーンで書かれていた。

しかし住人たちに会ってみると、話は違っていた。

確かに皆不満や不安があるのだが、大抵の人が「仕方ない」と感じている様子で、「新しい団地に移れるのだから歓迎」という人も多くいた。都も移転先として他の団地を斡旋していて、すでに半数以上の住人が引っ越しをすませていた。新聞が伝えるようなひどい立ち退き話ではなかったのだ。

これは単なる偏向報道ではすまされない。受けのいい「弱者排除」の話にするために、恣意的にトーンを変えたと言われても仕方がない。

結局私は、団地の現状を伝える4分間の短い番組を作った。「全員が無事に引っ越せるまで頑張る」という町会長に焦点を当て、間もなく消滅する団地で暮らしを続ける老人たちの姿を淡々と伝えた。

 

結果的に当初の予想を裏切る展開になったわけだが、取材中のサプライズはもうひとつあった。こちらの方は、ある人物に対する私個人の偏見を覆す、ありがたい出来事だった。

団地恒例の新年の餅つき大会に立ち合ったとき、一部の住人から強い取材拒否の声が上がった。もうメディアは懲り懲りだと感じている住人がいることは知っていたし、最後の餅つきぐらい静かにやりたいという意見があることも数日前から聞いていたので、会長を介して特別にお願いしていたのだが、うまく伝わっていなかったらしい。

取りなそうとする会長の言葉も受けつけない強い調子だった。この日の映像が撮れないと企画が成り立たないという事情もあり、私は真っ青になった。

このとき、黙って餅つきの準備をしているJ氏が目に入った。

「東京都には誠意がない」「ここを絶対動かない」と声高に主張する彼は、先の新聞記事にも登場していた言わば団地の顔で、移転に関しても会長とは考えを異にする人物だ。私も最初に彼に話を聞きにいったが、4分間の番組に彼を取り上げる余裕はないと判断して、その後は不義理を重ねていた。その経緯もあり、彼は私に腹を立てている、少なくとも私を敬遠していると思っていた。

団地の役員たちが私を追い出すべきか否か協議をしている間、彼と目が合った。しかし今更助けを請うことはできない。

結局会長の粘り強い説得もあり、最終的に遠距離からの撮影許可はおりたが、気まずい雰囲気は強く残った。

 

J氏が中心になって餅つきが始まった。その横で私はカメラと三脚を持ったまま突っ立っていた。

やがて碓に出来上がった最初の餅を手早く丸めたJ氏は、それが習わしなのか、小さくちぎって周りの人たちに手渡し始めた。皆「おめでとう」などと言いながら楽しそうに口に運んでいる。

すると彼は、突然こちらに歩み寄り、機材で手が塞がっていた私の口に一切れの餅を放り込んだ。

驚いた私は、目を白黒させていたに違いない。それを見た何人かが笑い、空気が微妙に動いた。「いいじゃねえか」とは誰も言わなかったが、餅を食することで、私はその集まりに何となく受け入れられたかたちになった。

J氏の粋な行為に救われた私は、その日の長い取材を終えて帰るまでに、おはぎやお汁粉など美味しい餅料理を食べきれないほど頂くことになった。

 

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ファーガソンについて

ひと月ほど前、黒人少年を射殺した白人警察官がアメリカのミズーリ州で不起訴になり、各地で暴動やデモが起こった。

私の同僚によると、「全米が震撼」というフレーズは日本のメディアで最も多用される見出しのひとつらしいが、この話題にもあちこちで使われていた。

ただ今回は見出しだけでなく、報道の内容も似通っていた。マーチン・ルーサー・キング牧師の演説「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」を引き合いに出し、公民権運動から50年たっているにもかかわらず黒人への差別は相変わらずで、やはりこの国の人種問題はひどい… というパターンだった。

他国の事情を伝えるのは難しい。でもよく知っているはずのアメリカのことなのに、新聞もテレビも判で押したような報道になるのはなぜだろう。

 

事件直後のワシントン・ポストに「ファーガソンとは警察への黒人の憤りではなく、進歩に対する白人の憤り」と題する文章が掲載された。

街頭での派手な言動は世間の目を引くが、屋内でひっそりと行われる法やルールの制定は注目を浴びない。デモや略奪という黒人の怒りは見ての通りだが、人種差別を助長する取り決め作りに奔走する白人の「怒り」の行為はニュースにならない。アメリカの人種問題を全体像を捉えたいなら、そのことをお忘れなくという痛烈な内容のオピニオン・コラムだった。

例として著者は、現在行われている黒人の投票を封じ込める選挙区割りや、多くの黒人が働いている公務員の人件費削減などを挙げているが、歴史的にみても「白人の怒り」は枚挙にいとまないという。特に奴隷制解放やブラウン判決、そして公民権運動など、人種統合に向けて画期的な出来事が起こった直後に行われた「より戻し」の法改正は火を見るより明らかだと指摘する。

 

このコラムはふたつのことを示唆してくれる。ひとつは人種問題の根の深さ。そしてもうひとつは賢明でない歴史の見方。ある出来事を切り取り象徴として捉えるとわかりやすいが、こぼれ落ちるものも大きい。

キング牧師のスピーチはそれ自体が傑出していた。でも、この演説とそれに続いた公民権運動の勝利がアメリカの黒人に完全な自由をもたらしたわけでは当然ない。理解しているつもりでも、同じコンテクストでくり返し見聞きするうちについそんな印象を抱いてしまう。

アメリカの人種問題を語るたびにキング牧師を出すのであれば、それはまさに紋切り型の伝え方であり、「全米」とくれば「震撼」とつけたがるメディアの人間の怠慢の表れでもある。

 

その記事が出た数日後、巷である写真が話題になった。オレゴン州のデモに参加していた黒人少年と警備にあたっていた白人警官が抱き合っている一枚だ。少年は「フリー・ハグ(抱擁します)」というサインを持っていたらしく、それに気がついた警官が彼にいろいろと話しかけ、ふたりは最後に抱き合ったという。

写真がことさら目を引くのは少年の頬が涙で濡れていたからだ。フェイス・ブックに載るとわずか数時間で15万回シェアされ、「希望の写真」というふれこみでたちまち人々の間に広まった。

ここでアメリカ人の単純さを嗤うのは簡単だ。だが、この感傷こそが理念を掲げて社会を回している彼らのDNAだと思う。

人は人を差別する。根絶はあり得ない人種間差別を考えるとき、アメリカでは問題が突出している分だけむしろ可能性を感じる。彼らはこの問題と常に格闘していて、求めれば、他人種と向き合う(そして抱き合う)機会もすぐそこにある。

 

ちょうど同じ時期に、日本のSNSで拡散された記事があった。

日本に住む中国人が中国語で書いたという文章は、いかに日本が素晴らしい国で、いかに日本人が素晴らしいかを中国人に向かって滔々と述べたものだった。大勢の人が「それ見たことか」という調子で書き込みをしていた。

これを読んで私は昏い気持ちになった。元の文章自体が胡散臭いが、例え実在するものだとしても、この種の憂さ晴らしから透けて見えるのは歪んだ自尊心と優越感だけだ。

特に最近は中国人と韓国人との仲の悪さが伝えられる日本人だが、こういう文を取り上げて溜飲を下げるという行為には、問題を解決しようという姿勢はもちろん、相手と向き合い対話をしようという心意気も感じられない。

 

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湘南新宿ライン 3

おっさんの耳たぶなんか見たくない。おねえさんのうなじだってそんなに近くで見たくない。

誰のであれ、しみや産毛やほくろは見たくない。

つり革広告に助けを求めたり、目を閉じたり。スマホや文庫本に逃げるのが一番だけど、激混みの状態ではそれすら許されないのだから、これはやはり苦行としか言いようがない。

今さら満員電車の話しかなどと言って突き放さないでほしい。長い時間かけて通勤している私にとっては切実な話題なのだ。日々車中で目にする風景は心のなかに澱のようにたまってゆく。

白状すれば、疲れているとき私はグリーン車に乗る。でも私が利用する路線は混雑するので、ラッシュ時にはグリーン車でも座れないことがある。追加料金を支払ってデッキの片隅に立っていると疲労もかなり割り増しになる。

 

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の主人公は電車好きの男だ。

鉄道会社で駅舎の設計を仕事にしているという、ハルキ・ワールドにはそぐわないメイン・キャラの設定で、新宿駅で彼が電車の発着を眺めて心を落ち着けるシーンをはじめ、この交通機関をめぐる諸々が好意的に語られる。

村上春樹と通勤電車? この意外な取り合わせに私はつい勘繰ってしまう。

ひょっとしたらこれは、作者から普通の人間(満員電車に毎日乗っているあなたや私)へのささやかな贈り物ではないか。売れすぎた作家が自分の読者のために作品中に仕込んだポピュリズム、つまり大衆迎合の一種ではないか、などと。

物語の終わりの方では、海外のメディアで話題になったという、日本人の通勤風景を捉えた一枚の写真についてもくわしく書かれている。日本人が下を向いて改札を出るのは、実はうつむいているのではなく足元を気にしているからだなんて、まるで作家本人が海外の読者に向けて弁明しているような箇所がある。

 

通勤電車も悪いことばかりじゃない。

変わったところから言うと、私には閉所恐怖症の気があるが、満員電車では不思議と平気なのだ。車内で息苦しくなると私は「共闘」という言葉を思い浮かべる。周りの人たちを共に何かに取り組んでいる同志に見立てると、心が落ち着いてパニックを起こさない。これは冗談ではない。

もちろんスペースを確保できれば、本や音楽やSNSに没頭できる。仮眠をとってもいいし、人間観察をしてもいい。

そしてたまに妙な体験ができる。

 

「はよ帰ろー、今夜はおいら、はよ帰ろー」

その歌声を聞いたのは最寄り駅の改札だった。声の主は斜め前の中年男性だ。発声練習にしてはいい加減すぎるし、口ずさんでいるにしてはこぶしがきいている。朝からふざけているのか、単にご機嫌なのか。気になった私は彼の後についてホームへ上がった。

私が乗る電車に男も乗るらしく、空いている列に並んだ。真後ろに立った私は、歌の続きが聞けないか耳を澄ました。突然彼が振り返ったのはその直後だ。

ねめつけるような激しい視線だった。不意を突かれた私は目を逸らす余裕すらない。「お前の考えていることはすべてお見通しだ」と言わんばかりの意味深な目で、確かに私はすべてを見透かされたような気持ちになった。

10秒近く経っただろうか、もうこれ以上この状態に耐えられない思った瞬間、彼は視線を外してゆっくり前に向き直った。間もなく電車が到着した。

ところが彼は電車に乗ろうとしない。最後に乗り込んだ私は自然と体をホーム側へ向けたので、ドアが閉まるまでのあいだ彼と再び対面することになった。しかし男は、遠くに視線を預けたまま何事もなかったように穏やかに佇んでいる。

グレーのスーツに淡い緑のネクタイ。ベージュのコート。どれも品が良い。褐色の肌に切れ長の目。白髪は多いが姿勢は良い。なぜ電車に乗らないのか。なぜ私を睨んだのか。混乱した私を乗せたまま電車は走り出した。

そう、なかなか暇しないという点でも、通勤電車は捨てたもんじゃない。

 

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偶然のことば

自分より年下が多い職場にいるからだろうか、同僚から恋愛相談をもちかけられることがある。たいしたアドバイスはできないので、話を聞くぐらいなのだが、嘆いたり喜んだりくるくる変わる若い人の顔は端で見ていても気持ちがいい。こういう感想を持つこと自体、自分がおっさん化している証拠なのだろうけど。

心を決めるのにあたって、彼や彼女たちを後押しするのが偶然らしい。街中で続けてばったり会ったとか、同じ日に同じ映画を観ていたとか、実は共通の知人がいたとか。どんな些細なことでも、ふたりに間に起こる必然性の欠如した出来事は諸手を上げて歓迎される。

丸谷才一の小説「女ざかり」には、広い東京で三日続けて出会ったことで結ばれたカップルが主人公として登場する。その偶然について、男はこんな講釈をしてみせる。

神の死といふ事件があってから、いや、これは日本の場合も含めて、宗教の力が失つてからと言ふほうがいいけれど、人間は神とか仏とかまあさういふものを信ずる代わりに、ロマンチックな愛を信ずるようになつた。ところが、このロマンチックな愛の象徴に一番なりやすいものが偶然なんだ。どうもさうらしいや。

 

先日、私にもこんなことがあった。音楽好きの友達にCDを作って渡したのだが、そのうちの一曲がアンジャーニという歌手の「サンクス・フォー・ザ・ダンス」だった。この曲を彼女が気に入ったと聞いて、私は歌詞の一部をメールで送った。ワルツを踊る女性が語るのは、相手男性との美しく物悲しい関係だ。

It was fine it was fast

I was first I was last 

In line at the Temple of Pleasure

But the green was so green

And the blue was so blue

I was so I

And you were so you

The crisis was light as a feather 

翌日、彼女から返信があった。その日図書館で借りた本の中に、件の歌詞によく似た和歌を見つけて驚いたという知らせだった。

嬉しさは空の水色、葉のみどり、君と知りつる夏の夜の色

相容れぬ二つの性を盛る器、我という器、持ちあぐみけり

これは「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子が若いころに書いた詠草の一部らしい。朝ドラ「花子とアン」で最近有名になったとはいえ、彼女が戦後間もない頃「婦人新報」に書いた和歌を、カナダ人のアンジャーニが読んでいるはずがない。しかしメールに抜粋した箇所は、このふたつの和歌をそのまま意訳したみたいだ。

ただ表現が似ていた… ということなのだろう。それで納得することにしよう。

では、私の友人がこの歌詞と詠草をほぼ同時(一日違い)で目にしたことについては、一体どんな説明が可能だろうか?

 

残念ながら彼女と私はロマンチックな関係になる間柄でも何でもないのだが、もし出会いを求めている者同士の誰かに同じことが起きたとしたら、この偶然はそのまま「愛の象徴」となって、ふたりはさっそくつき合いを始めるにちがいない。

 

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撮らない至福

「最後の最後で、写真はどうでもよくなったんだ」

ケビン・リヴォリはテーブルの上に並んだモノクロのプリントの前で静かに言った。続けて「わかるだろ?」と同意を促した。

ニューヨーク州のロチェスターにある新聞社だった。仕事の面接に訪れていた私に、フォト・エディターの彼は自分の大切な作品を見せてくれた。不治の病を患った40代の女性とその家族の闘病のドキュメンタリーだったが、取材を続けているうちに一家との関係が深まり、彼女の葬儀というストーリーのいわばクライマックスにそんな感慨を抱いてしまったという。

 「このへんでもう、カメラを構えるのは止めたの」

リサ・クランツはスクリーンに大写しになったスライドの下でちょっと肩をすくめた。すぐに「いいでしょ?」と開き直った。

フォトジャーナリストが集まるセミナーでの発表会でのこと。テキサス州サンアントニオの新聞社に勤める彼女は、ハリケーン・カトリーナの被害に苦しんでいるコミュニティーを追い続けてきたが、あるとき撮影を中断したことがあるという。外で無邪気に走り回る子供たちを見ているうちに万感の思いがこみ上げてきて、その日一日を彼らと一緒に遊んで過ごしたらしい。

 

写真をとことん追求しているプロが、カメラを置くという行為に意味を見出しているのだから矛盾している。

でも目的に向かってひたすら進んでいる過程で、目的自体が一瞬どうでもよくなるという話はよく耳にする。

大体何をするにも、物事をやりきったとき、あるいは人とのつながりを実感できたときに湧く喜びはひとしおで、案外そんな感慨を求めて誰もが仕事に取り組んでいるのかもしれない。

 

この二人のようなレベルの作品は残せなかったが、私も撮らないという至福を経験したことがある。

サウス・カロライナ州の沖合に浮ぶ島々にガラーと呼ばれる文化がある。

マラリアなどの伝染病がはこびっていたこともあり、建国前から島々で行われた稲作業には、西アフリカの海沿い出身の黒人たちが他の奴隷よりも自由を与えられて従事していた。農園自体は20世紀の初めに廃れたが、長い間橋が架けられなかったことも手伝って、西アフリカとアメリカの入り交じった独特の言語と習慣は今日まで300年生き延びてきた。

近年の島のリゾート化によってその文化の存続が危ぶまれている。この現状を伝える特集記事の企画を私は立てたが、いざ始めると、マスコミの相手をしても自分たちの得にはならないと考えているガラーの人たちは多く、彼らはなかなか心を開いてくれなかった。

しかし足繁く通ううちに出会った一人の島の女性の案内のおかげで、我慢を重ねた取材は後半から俄然うまく行き始めた。私は力を振りしぼって撮影を行った。

2週間以上に及んだ取材の最終日、彼女は私を荷台に乗せたまま軽トラックを島の奥まで走らせた。「ここに島の外の人間を連れて行くのは初めて」という彼女の好意が嬉しかった。

教会から島の中央の空き地へと続く細道の眺めは格別に美しかったが、なぜかそのとき写真を撮ろうという気は起こらず、私は潮風を身体いっぱいに浴びながら只ドライブを満喫した。

 

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