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暮らしてみたアメリカのこと。留守にしていた日本のこと。

赤信号

仕事帰りの夜道で、車に轢かれそうになった。

いや、ちょっとそれはオーバーか。赤信号の横断歩道を渡る私に、ドライバーがたぶん意地悪をしたのだろう、車を目の前まで寄せてきたのだ。それだけのことだったのに、ぼーっとしていた私は飛び上がらんばかりに驚いた。

私は普段からジェイ・ウォークを習慣にしていて、「自己責任だから」とかなんとか言いながら、車道もどんどん渡る。颯爽と横切る。

だから不注意だったうえに、あんなに慌てたことが恥ずかしかった。

 
世間には100パーセント危険がないとわかっているのに、横断歩道の信号をきちん守る人たちがいる。

これが見ていて歯がゆい。子供や老人ならわかるけど、忙しそうな勤め人とか、エネルギーを持て余していそうな若者が、閑散とした小道でじっと信号待ちしている様を見ると「何で?」と思う。

海外出張の多い同僚曰く、これは日本人特有の行動だという。本当だろうか。

確かに日本のパブリックには「ルールを守ろう」という類い標語が多い。学校でもそう。間違っても「状況をみて、自分で判断しよう」とは謳っていない。

隣国ではどうなのか知らないが、あのセオル号転覆事故のとき、「動かないで」という指示が船内にくり返し流れたことは大きく報道された。

傾いてゆく客室の中で、これは絶対にやばいと思いながら、なんとなく指示に従い続けた韓国の学生はどれくらいいただろう。

究極な例えだし、軽々しく語れない悲劇だけれど、いざというときの自主性について考えたくなるエピソードだ。ルール遵守を刷り込まれている若い人たちに、ほら、ディレクション(=信号)は守ればいいってもんじゃないだよ、と添えて話したくなる。

 

でも一方で、こんな話も思い出す。

アメリカで安全運転の講習を受けたとき、途中でシートベルト着用の話になった。案の定「国や州から強制させられる筋合いはない」と言い出す受講者が数人いて、講師とディベートを始めた。

「自己責任」とか「個の自由」とか華やかな言葉が飛び交った。講師はそれを面白がり、余裕で受け答えていたが、最後はこんなシナリオを作って彼らを黙らせた。

あなたが運転しているスピードに乗った車が、他車と接触したとする。シートベルトをしていたら身体が大きくぶれず、ハンドルをコントロールできたはずなのに、着用していないばかりに車を立て直すことができず、結局近くの歩行者に突っ込んでしまったとしたら…

「君のその『自由』とやらのおかげで、他人を傷つけることだってあり得るんだ」


ジェイ・ウォークも自分が怪我するだけなら「バカな奴だ」で済むけれど、どんな事故にも相手があるし、二次災害の可能性だってありそうだ。そもそも誰が見ているかわからない。

評論家の勢古浩爾氏は、自転車で街を徘徊するとき信号をいつも無視するが、周りに児童がいるときだけはちゃんと待つらしい。優しい人だ。

私もたぶんそうすべきなのだろう。

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肩がふれたら

ある匂いを嗅ぐと、特定の記憶が蘇るという「プルースト効果」は、よく聞く話だ。

ではある行動をとると、必ず思い出す人がいるというのはどうだろう?

私にはいくつかそのパターンがある。

洗面所に立ってうがいをするとき、なぜか決まって思い出すのはあの老人だ。

その人は、夜の公衆トイレの洗面所でくり返しガラガラとやり、振り向いて「いつもこれで風邪ひかない」と言って笑った。いい笑顔だった。

私たちは当時、共に歩いていた。べつに比喩ではなく、一度だけ、夜を徹して一緒に歩いた。

 

週末の代々木公園の集まりに、埼玉の大宮市から徒歩でくる老人がいると友人から聞いたのは、一昨年のことだ。日曜日にホームレスに朝食を振る舞うグループで、教会がやっているボランティアだった。本人に直接会ってみると、表情の柔らかい小柄な男性だった。

なぜそんな長距離(片道約35キロあるらしい)を歩くのか尋ねると、先の大震災をきっかけに始めた習慣だという。はっきり言わないが、個人的な巡礼でもあるようだ。私は同行を願い出た。

私の勝手な事情を言うと、帰国後に就いた最初の仕事は屋内にいることが多く、現場に慣れていた体が鈍ってしかたがない時期だった。文と写真を掲載してもらう約束をオンライン雑誌にとりつけ、さっそく彼の家に向かった。

 

アパートには家具がほとんどなかった。テーブルがふたつと、壊れた座椅子がひとつ。彼はそのことを恥じるような素振りを少しだけ見せた。

ティーパックの緑茶を飲んでいるうちに外が暗くなり、そろそろ行こうかとなった。

駅近くの繁華街を歩き始める。焼き鳥の屋台、本屋、スーパーを通りすぎる。郊外に入ると闇に包まれるが、それでも街灯があり、自動販売機の灯りがあり、信号があるので不便は感じない。

入り組んだ路地に入ったり、川を渡るのに大きな高架橋の歩道を使ったり、目の前の景色は次々と変わってゆくので飽きることがない。ほぼ2時間おきに、公園のベンチや飲食店の前に設置されている椅子に座って休憩した。缶コーヒーを一本だけ買って飲んだ。

その夜は会わなかったが、パトロール中の警察官とも顔馴染みらしい。スピードに乗った自転車との激突と、強盗には気をつけているが、そもそも金目の物は持っていない。小振りのショルダーに入っているのは、水とタオルと聖書だけだ。

深夜をすぎ、私の息が上がり始めるが、78歳の彼のペースは落ちない。右足だけ円を描くように出す、妙なストライドでひたすら前に進む。新調したばかりのスニーカーが白く光っている。

 

日雇い労働をしながらその日暮らしをしてきた彼だが、70をすぎると急に声がかからなくなった。やがて家賃が払えなくなり、知り合いの土建屋の事務所で寝泊まりするようになった。そこも直に出なくてはならないというとき、渋谷駅前でぼんやり座っていると、見知らぬ若い男に声をかけられた。代々木公園に行きなさいと言う。

言われるままに足を向け、次の日も、また次の日も行って時間を潰していると、ものすごい揺れがあった。東日本大震災だった。

いろんな情報が飛び交ったが、夕刻、居合わせた人たちと埼玉方面に向かって歩き始めた。人で埋め尽くされたハイウェイの光景が今でも忘れられない。

その日、彼は自分について意外な発見をした。長い距離を歩けることがひとつ。もうひとつは、他人と行動を共にすることに喜びを感じたこと。

翌日から彼は歩くことを日課とし、窮地から抜け出すために、代々木公園に集まる人と教会のネットワークに頼った。結局、会社勤めだったころの納税記録を遡ってみつけ、僅かだが今は年金を月々受給していて、たまに回ってくる日雇いの仕事の稼ぎとあわせて日々を乗り切っている。

 

1950年、家族が東京から大阪に引っ越した14歳の彼は、近くで叔父が経営するフィルムの現像所に出入りするようになった。高校を出るとすぐそこで働き始め、最初につきあった女性と結婚した。仕事は忙しく、映画用に撮影されたフィルムの現像を任されることもった。給与は右肩上がりに増えていった。ただ、欲しかった子供には恵まれなかった。

30代になり、離婚をきっかけに劇的な変化を求めた彼は、転職を決心した。後に後悔する決断だったが、洋服のセールスで地方都市を廻るのは楽しかったし、その後も、自動車の部品工場、電気製品売り場、ビルの建築現場を渡り歩いてなんとかやってきた。真面目にやれば働き口はいくらでもあった。

2度目の結婚の話もあったが、子供を切望しているその女性と一緒になることに踏み切れず、彼女と別れた後はずっと一人で暮らしてきた。自由気儘な暮らしは性にあったし、このまま他人を煩わせず生きていけると思っていたのに、この歳になって助けてもらった。ならば同じ境遇の誰かの役に立ちたい。

夜通し歩くのは、忘我の時間を持つためだ。覚えたての祈りの言葉は必要ない。こうして身体を追いこむと、なぜか頭の中を去来するのは、若いころ映像所で観た数々の映画のシーンの断片だ。現像したばがりの劇場公開前のフィルムを、一人で夜こっそり観たこともあった。いろんな世界があった。

振り返れば、あのころが一番よかったと思う。でも当時はそれがわからなかったし、ずっと後にくるこの膨大な時間について思いを巡らせることもなかった。

 

東の空が白み始めたころ、彼方に新宿のビル群が見えてきた。

彼の後ろ姿を撮るために、私は足を止めた。構わず離れてゆく小さな背中を眺めながら、私はその夜のちょっとしたハプニングについて考えた。

板橋区に入ったあたりだったか、話が音楽について及んだとき、50年代後半から60年代前半にかけて、彼がジャズ喫茶に出入りしていたことを知った。ジャズが一番熱い時期をリアルタイムで知っているその経験に興味がわき、私がエキサイトして質問を重ねると、それまでわりに淡白だった彼の受け答えにも急に熱が入った。そのとき、二度三度、お互いの肩と肩が触れ合った。

山田太一の小説だったか、かつて恋人や仲間と連れ立って歩くと、肩が触れ合ったものだとぼやく中年男が出てくるが、確かに人はいい年になると、肩と肩がぶつかるほど近づいて他人と歩くことは少なくなる。

次に誰かと肩を触れ合わせることがあれば、うがいだけでなく、私はたぶん条件反射的に彼のことを、そして、彼と歩いた夜道のことを思い出すと思う。

 

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小説の話

読みかけたままの小説が増えている。以前は一度手にしたら、ちゃんと最後まで読み通したのに。

好きな作家の作品でも、途中でつまらなくなると止めてしまう。こんなはずじゃないと思ってもう一度トライしても続かない。いとうせいこうの「我々の恋愛」も、小川洋子の「ことり」もダメだった。

純文学が何となく面倒になってきていて、そのことと関係しているのだろうか。筋を追いながら読書をするようになっているからだろうか。

でも町田康の「珍妙の峠」は、特にストーリーのない奇譚だったけれど、終わりまで惹きつけられた。途中で何度も笑ったし、ひょっとしたら彼は日本のサミュエル・ベケットなのかもしれないと思うと、ページをめくるのが惜しかった。

 

小説の魅力といってもいろいろだけど、まず語り口がしっくりくること。ここは好みの問題ですね。そのうえで、私はいつも違和感を感じたいと思っている。齟齬とか意外性とか。何これ? みないな感覚。読みながら自明なものが揺らぐ感覚は、小説を読むことの醍醐味のひとつです。

でもこれはけっこうエネルギーがいる行為だ。よく若いうちに乱読しておけと言うけれど、確かに時間と体力があるうち出会っておかないと、おそらく一生手に取らない本はたくさんある。勤め人は忙しくて時間がないし、中年になると頭も固くなってくるので、没頭することが求められる読書が億劫になる。

だいたいベケットの作品がそう。いまさら埴谷雄高やトーマス・ピンチョンに挑戦しろと言われても困るし、「百年の孤独」も「ユリシーズ」も「失われた時を求めて」も、いつかいつかと思いながら結局そのままになっている。永遠の積読(つんどく)という言い方があるらしいけど、買わずに考えているだけだから完読はさらに遠そうだ。

学生のころは、読んでも理解できない本が多かった。誤読もあっただろう。そう言う意味では、ある程度の人生経験を積んだ今こそもう少し豊かな読書体験をできそうだけど、平日は仕事に追われて、休日は休日でダラダラして終わるのだから話にならない。

開高健は青年のころ、本屋の書架を埋め尽くす大量の書物の前で、「全部読破してやる!」と心を燃やしたらしい。私も学生のときは、「あれを読もう」「これもあったか」と本屋で気持が昂ったのを覚えている。それが今では、本屋に立ち寄っても何も買わずに出てくることが多い。情報量の多さに屈してしまう。

そういえば、帰国後わりに頻繁に行った渋谷の本屋は、キューレーションの小さな書店だった。店のオーナーとスタッフが選んだ(ということになっている)本のみが置いてあり、新刊や新書はほとんどない。そんなおせっかいしてくれるなと、以前の私なら反撥を感じただろうけど、正直ありがたく感じた。仕事場が変わったのでもうそこにも行かないけれど。

 

そもそも帰国する前から、本屋は微妙な場所になっていた。

アメリカの本屋は広いし、置いてあるソファーもゆったりしていてとても贅沢な空間だ。でも自分が知っている作家、読める本がめったにないから、楽しいというより途方に暮れることの方が多かった。

読みやすい平明な文章で書く、コーマック・マッカーシーやポール・オースターの新作が出てないかチェックしたら、それで終わり。あとは写真集の書架の前で時間を過ごした。

たまに奇跡的にわかりやすい話題の本があったけれど、それはかなり稀なことだった。評判の現代作家と聞いてチャレンジしても、私の語学力では歯が立たなかった。ジョイス・キャロル・オーツもドン・デリーロも挫折したし、カズオ・イシグロは何の話かさっぱりわからなかった。ジュンパ・ラヒリは短編が読めたので長いのを買ったら、数ペーシしか続かなかった。

ちなみに原文のとっつきやすさは、その作家が海外で売れるためのひとつの条件ではないか。例えば、オースターが地元アメリカより日本やフランスで人気があるのは、彼の文章の読みやすさが助けになっている気がするし、村上春樹があれほど海外で読まれているのも、日本語を学んでいる外国人が原書で挑戦できることがひとつ要因になっている気がする。「ライ麦畑でつかまえて」がロングセラーなのも、世界中で若者が英語のテキストとしてふれ続けるからじゃないか。

 

映画「麗しのサブリナ」に、主人公の執事だったか、物静かな中年男性が脇役で出てくる。彼は与えられた仕事を最低限こなす以外は、屋敷の一室に引きこもってひたすら本を読んでいる。男がその仕事を選び、世捨て人のような生活をしているのは、すべて読書に没頭するため...。確かそういう設定だった。

ストーリーに関係なくちらりと出てくるその場面が、なぜか印象に残っている。

仕事より趣味、趣味を持続してやるために働いている、という人は結構いそうだ。アメリカでも目にしたし、日本にも沢山いるだろう。そしてその趣味が小説を読むことという人は、どれくらいるのだろうか。

 

私の家から一番近い本屋は、ヤマダ電機の中にある。正確には本屋じゃなくて、家電量販店の中にある本の売り場なのだけど、ここがけっこうな数の文庫本を揃えている。

このあいだヘア・ワックスを買ったついでに、立ち寄った。

その日はコンタクトも眼鏡もしていなかったので、顔を書架に思い切り近づけて、あ行からタイトルを目で追っていった。なんとなく気になるものを手にとるのだけど、どれも気乗りがしない。だいたい本がキツキツで収められていて、棚から抜いて戻すのがひと苦労なのだ。

池澤夏樹、いとうせいこう、奥田英郎、江國香織… 特になし。

「ヤマーダデンキ!」とキンキン声で連呼する大音量の宣伝を聞きながら、やっと江戸川乱歩までたどり着いた。彼の作品はもう何十年も読んでいない。

「江戸川乱歩名作選」をひっぱりだすと、真っ黒を基調にした表紙には、血まみれの手袋と、階段の踊場と下でそれぞれ佇む男女が灰色で描かれている。題字はゴシックっぽい金色。

そういえば小学生のころ、「怪人二十面相」シリーズに夢中になったんだった。調子に乗って彼の大人向けの作品にも手を出して、怖くて夜眠れなくなったことを思い出した。

なんだかうれしくなり、か行以降はぜんぶ省略することにして、その一冊を買い求めた。

あれからひと月たつけれど、七つある話のうち、まだ最初の「石榴」しか読んでいない。

 

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いいね

承認欲求を捨てなさい。ブッダはそう説いた。

でもSNSを覗くと、誰も彼もが承認中毒気味に見える。

 

「私、病気かもしれない」

知り合いのカメラマンが、聞き捨てならないことを言う。

「褒めらわないとやっていけないの」

一緒に写真を展示したことのある彼女が、近々個展を開くと言うので、「おめでとう」と伝えるとそんな返事をした。

他人に褒められたいから見せ続ける、そのために撮り続けている…

自虐すぎる自己分析だけど、言いたいことはよく分かった。

 

アウト。イン。アウト。アウト。アウト。アウト。イン。

アメリカで報道写真をやったことがある者なら、誰もが知っているこのサウンド。フォトジャーナリズムのコンテストで、審査中のジャッジたちが放つセリフだ。スクリーンに次々と映し出される自分の作品に、目の前で当落がつくのだから、すごい量のアドレナリンが出る。

田舎の小さな新聞社からスタートする若いカメラマンたちが、少しでも大きなマーケットで働こうと思えば、コンテストで入賞を重ねて名前を売ってゆくしかない。キャリアがかかっているから皆必死だ。

私もかつてこのレースに参加した。

12月に入ると、その年のポートフォリオを作り、何が足りないかを頭に置いて仕事をした。事件の現場に向かいながら、ここでいい写真をゲットできたら、地元のフォトグラファー・オブ・ザ・イヤーを穫れるかもしれないと考えたこともある。ひどい話しだ。

やらせがまずない米国の報道写真の世界で、たまにルールを破りが発覚して大騒ぎになることがあるけれど、それも過当な競争のプレッシャーが原因だと思う。

 

もちろんキャリア・ステップだけが、競争過熱の理由じゃない。

小さな賞でもいったん手にすると、人間欲がでるのだ。

あの高揚感をまた味わいたくなる。「いいね」は癖になる。

 

撮る現場から上がった今は、そんな熱狂からも解放さて、クールに対処できると思っていた。いい加減エゴだって飼いならせる歳なんだし。

でも先日、ある人からプロフィールが欲しいと頼まれたとき、以前のものを手直して提出したのだけれど、「写真賞多数」という箇所を迷ったあげく残した。

やたら賞好きの国で長年働いたのだから、そして、上に書いたような業界の事情があるのだから、受賞はあって当然のこと。ほとんどローカルのものだし。

それなのに削らないのは、承認欲というよりは自己顕示欲か。

病気なのは私の方かもしれない。

 

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大岡信の「地名論」

授業中の教授がそわそわし始めた。顔を赤らめている。

もったいぶった前置きの後、おもむろに詩の暗誦を始めた。

ポーの「アナベル・リー」だった。

大の大人が若者に向かって詩の朗読することの気恥ずかしさは、自分がおじさんになった今なら理解できるけど、生意気な大学生だった私は「何を照れてるんだよ」と思いながら聞いていた。

聞き終えて、その詩の良さはわからなかったけれど、教授のポーの作品への思いの深さは垣間見えた。「へえー」と思ったのを覚えている。

 

詩人の大岡信さんが亡くなった。

評論も詩も難しくてほとんど読んでいない。私にとって彼はずっと朝日新聞「折々のうた」の選者だった。日替わりで古今東西の詞が解説つきで紹介されるので、まるでマジシャンみたいだと思っていた。

でもあるとき、彼の「地名論」という詩を見つけた。外国行きを夢見ていた当時の私の心にスコーンと響いた。まだ見ぬ土地の名前を口にするだけで湧き立ってくるその感じがよかった。

今の私に暗誦できる詩はひとつもないが、学生のころ好きだった一篇をあげろと言われれば、これにするかもしれない。

当時とても気に入ったので、紙に書き写して枕元の壁に張った。ランボーの「地獄の季節」を貼ったこともあったけれど、ジリジリとした焦燥感が湧いてくる天才の青春潭と違って、こちらはひたすら肩の力が抜けて具合がよかった。世界をひと回りした後、けだるい現実に引き戻される終わり方も好きだった。

 

「地名論」

 

水道管はうたえよ

御茶ノ水は流れて

鵠沼に溜り

荻窪に落ち

奥入り瀬で輝け

サッポロ

バルパライソ

トンブクトゥーは

耳の中で

雨垂れのように延びつづけよ

奇体にも懐かしい名前をもった

すべての土地の精霊よ

時間の列柱となって

おれを包んでくれ

おお 見知らぬ土地を限りなく

数えあげることは

どうして人をこのように

音楽の房でいっぱいにするのか

燃え上がるカーテンの上で

煙が風に

形をあたえるように

名前は土地に

波動をあたえる

土地の名前はたぶん

光でできている

外国なまりがベニスをいえば

しらみの混ったベットの下で

暗い水が囁くだけだが

おお ヴェネーツィア

故郷を離れた赤毛の娘が

叫べば みよ

広場の石に光が溢れ

風は鳩を受胎する

おお

それみよ

瀬田の唐橋

雪駄のからかさ

東京は

いつも

曇り

 

読み返してみて、かつてと同じようには心は動かなかったけれど、やっぱりいいなと思った。人前で暗誦してもいいくらい。

行ってみたい土地はまだまだある。

大岡さん、ご冥福をお祈りいたします。

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ディア・アメリカ

アニメでもSF映画でもいい。空を飛ぶ巨大な乗り物が不時着する場面がある。

例えば宇宙船。風が吹き荒れ、辺りは轟音に包まれる。

周りのものすべてをなぎ倒して、地面を削りながらスライドしてゆくカタストロフィックなシーン。

止める術はない。

アメリカの新大統領の就任演説を見ているときに、なんとなくそんな映像が頭に浮かんだ。

ひと月経った今も、それは残っている。というか今じゃ火柱が見えるし、地響きや怒号も聞こえていて、私の妄想はどんどんハリウッド仕立てになってきている。

 

彼の国は、あの衝撃の意味を考える猶予もないまま、新政権に変わってしまった。で、矢継ぎ早に出される放言やリークや辞任劇に振り回されて、検証も分析もうやむやのまま怒涛のニュースサイクルに入ってしまっている、そんな気がする。

私もあの選挙の意味が知りたくて、就任式までのあいだ3ヶ月、いろいろなサイトをのぞくように心がけた。足元を完全にすくわれたメインストリームのメディアが、どう立て直すのかにも興味があった。

でも、新聞やTVに内省の声が上がりかけていた矢先、就任後の大統領がさっそくケンカを売ってきて、それどころではなくなった。今またメディアは噴き上がっている。

私がひとつ気になっているのは、今のアメリカのメディアのあり方と、トランプ氏のような男が選ばれる世相の関係なのだけど、いろんなことが入り乱れて訳が分からない。少なくとも私のアタマでは整理がつかない。

 

印象に残っている文章がある。

どこに載っていたか忘れたが、メインストリーム・メディアの失態は、世論調査を読み違えたからでも、トランプ氏を過小評価したからでもなく、保守層を完全な他者として片付けてしまったことにある、そういう内容の記事だった。

つまり、トランプ支持者を「教育のない貧しい白人」と決めつけ、彼らが誰なのかを知ろうとしなかったという指摘。確かに4割以上の国民が支持していたのだから(それは今でも続いている)いろいろな人間がいたはずだ。

「私はジャーナリストの一人として、トランプがなぜ支持を受けるのかということや彼の支持層について、真摯に取材するべきだったと感じています」

アメリカで活躍する、フォト・ジャーナリストの深田志穂さんから選挙直後に届いたメールの中に、まさにそのことを悔いる言葉があった。

ただ、そう考えたメディアの人間は、果たしてどれくらいいただろうか。

 

更にその記事にはこんな書き込みがあった。

今回のリベラルの詰め甘さには、ひょっとしたら、トランプとトランプ支持者たちの暴走を許す気持がどこかにあったからじゃないか。

これはどういうことだろう。

差別はダメだと正論を言いながら、内実は許容していたと疑っているだろうか。

暴言を表向きでは批判しながら、心のどこかで喝采していなかったかということだろうか。

それを認めたくない気持があるから、心の恥部にフタをするように、「彼ら」にわかりやすいレッテルを貼り、上から目線で切り捨てることにした...そういうことだろうか。

 

ポリティコというサイトに載った「トランプになった男」というタイトルのインタビュー記事は笑えた。これはただの舞台裏の紹介なのだけど、いかにもアメリカっぽいエピソードだった。

ワシントン近郊でコンサルタントをしている、大柄で気性の激しいある男性を、クリントン陣営は大統領選の討論の練習相手に選んだ。フィリップ・レインズという人物だった。

3ヶ月間、彼は取り憑かれたように準備した。映像を繰り返し見て分析し、話し方からロジックまで徹底的に研究した。演壇を買ってきて家に置き、だっぽりとした感じのスーツを手に入れ、どんな状況で何を言うかを予想した。マーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロ顔負けの役づくりをしたそうだ。

ちょっとした立ち振る舞いも習得した。例えば、トランプ氏が会話相手とのアイコンタクトを避ける癖があることに気がついたレインズ氏は、壁にXと書いた紙を貼り、そこを見ながら話をする練習を繰り返したという。

彼のことは陣営内の数人にしか知らされず、すべてが秘密裏に行われた。

最初の模擬討論に現れた彼を見て、ヒラリー氏は驚愕した。

もともと顔見知りなので本名で呼びかけ、冗談を口にしてその場を切り抜けようとしたけれど、すでにモードに入っていた彼は取り合わない。昼休みになり、食事に誘う彼女を彼は無視した。

繰り返し行った彼との特訓のおかげかどうか、ともかくヒラリー氏は本番の討論で3度ともトランプ氏を圧倒した。

クリントン陣営にとって皮肉だったのは、ディベートでの勝利で「行ける」という雰囲気が生まれ、選挙レースの最後の詰めが甘くなったということなのだが...。

ちなみにレインズ氏の立てた予想がいろいろ的中したという。例えばトランプ氏は、一回目の討論の不調をマイクの不具合のせいにしたが、彼は模擬討論中にまったく同じパフォーマンスをしていたらしい。

 

そのレインズ氏が、選挙後に受けた最初のインタビューがこの記事だった。

新大統領について聞かれた彼は、こんなことを言っている。

「彼にとっては、政策を実際に行うことより、政策を発表することの方が大事なんだ。(中略)例えばメキシコとの国境で、カメラを前に壁造りの発表が出来ればそれで満足で、後はどうでもいいはずだ。」

ブラック・ジョークにしか聞こえないけれど、毎日のニュースを見ていると笑えない。一体これからアメリカがどうなるのか、この男の予想を聞いてみたい気がする。

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