祖母の短歌
引っ越しの整理をしていると、祖母が書き溜めたメモがたくさん出てきた。短歌を詠むのが趣味だった彼女、浜田としえは、同好会の仲間の作品をコピーした紙の余白に、自分の感想や批評を小さな文字でびっしりと書きこんでは何度も読み返していたらしい。
この話を伝え聞いていた私は、彼女の死後、いつかそのメモを譲ってほしいと、遺品の整理にあたっていた伯父に母を通じて願い出ていた。紙の束は数年後にアメリカに送られてきたが、無精な私は今まできちんと目を通していなかった。
今読んでみると、祖母の晩年の暮らしぶりがよく分かるような気がする。病気がちだったからか、こんな歌が目に付く。
黄に澄める点滴の蜜吸ひつけば夕野の蝶となりてさまよふ
金色の秒針廻る柱の下うす水色のマイシンを飲む
こっちは元気なときに、縁側で詠んだものだろうか。
さ庭辺の雀の「チチ」と鳴くほどに「チチ」と応えて春日の遊び
そんな可愛らしい歌に混じって、ブラック・ユーモア的な歌もある。
崖上に赤き小さき家見えてのぼりゆく道あらぬ額の絵
達観と優しさが感じられて、また、文字の並びが美しいので、私が好きな一首がこれだ。
暗渠より暗渠へ流るるしばらくをきらめきてをれ掘り割りの水
でも何と言っても私の胸を打つのは、彼女が長年連れ添った夫、つまり私の祖父とのことにふれた歌たちだ。
手をつなぎ踏切り急ぐ老いわれら二人のこころひとつとなりて
夫(つま)と吾の眠れぬ夜半のかたらひを包む水仙のほのかなかをり
教員をしていた二人は、熊本県の小学校で知り合った。祖母に一目惚れした祖父は、求愛の詩を書いては昼休みに彼女の机の上に置いた.. 生前祖父は私にそう語ってくれたことがある。メモには、実は祖父の短歌もふくまれているのだが、創作の力量では祖母に敵わなかったようだ。でも祖父の一番の趣味は短歌づくりではなく、庭に出て花や草木をいじることで、彼のその世界は祖母の歌にも反映されている。
永らへてひそと住まへり庭の辺の椿一樹の花炎え立たせ
降りそそぐ秋の陽ざしにかがよひて枯れゆく葦の白きひと群
21年前、祖父は85才で他界した。私が日本を発った翌年だった。
梢を発つとひと声啼きて冬空に消えし鳥とも夫(つま)逝きましぬ
祖父の死後、祖母は12年間生きた。その頃ときどき私に便りをくれたが、手紙の末尾にいつも短歌が添えてあった。その中に繰り返し出てきた一首があり、たぶんこれが彼女の自慢の作だったのだろう、夕暮れの庭で作業をする祖父の後ろ姿を詠んだ渾身の人生讃歌で、私の一番のお気に入りでもある。
かがまりて落葉焚きつぐ夫(つま)の背にひたくれないの命か燃ゆる